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『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学(しんめいP)』
哲学といえばソクラテスとかニーチェとかいろいろな人が出てくるのだけれど、東洋哲学はあまりピンとこない人が多いと思う。
本書でのざっくり区分だとインドや中国・日本で興った哲学、というか宗教が近いらしい。
哲学の入門書と言えば、それぞれの哲学者の思想の大枠を難しい言葉で要約するパターンが多いのだが、本書は引用こそあれど、いわゆる「超訳」というかなり砕けた翻訳を行っている。それゆえに、言っていることの大枠がわかりやすい内容となっている。
超ハイスペック引きこもり、ブッダ。
インドの論破王、龍樹。
ありのままが最強と豪語する、老子・荘子。
言葉をすてまくってしまった、達磨。
エリートからダメ人間へクラスチェンジした、親鸞。
万物の天才であり陽キャのフィジカルモンスター、空海。
この7名の哲学を、著者の経験・解釈を交えながら面白おかしく紹介してくれている。
教科書で説明されているような堅苦しい人物像ではない。
もちろん実際は修行をして、悟りの境地に至った人ばかりなので、偉い人なのは間違いないのだけれども。
教えでは小難しいこと書いてたのにこんなエピソード持ってんのかよ!とツッコミをめちゃくちゃ入れたくなってしまう人ばかり。
人柄がわかってくると、不思議とその人たちが言っていることも少しばかり理解できるようになってくる(なった気になっている)。
一方で東洋哲学の教えを現代風に解釈し、馴染みやすい文章として執筆した著者も切れ者というか、うまいなぁと感じた。
原文が漢語など難解なもので、想像力が非常に必要とされるような内容だったにもかかわらず、わかる内容にしたのは見事だった。
実はこういった偉人って変なエピソードを持っているから、まずは一人の人間として理解しようとすることが、本質的な教えの理解につながるんだろうなぁということをぼんやり思った一冊だった。
肝心の中身についてはまったく触れていないし、なぜ「自分とか、ないから。」と言い切れるのかはぜひ本文を読んでから発見してほしい。
それではまた、次の本で。