夜に駆ける~分かりやすくても、分からな過ぎてもダメ~
去年の流行を今更
「夜に駆ける」が、ちまたで話題らしい。
というか、もうブームのピークは過ぎているんだろうが、私のようなあまり流行りの音楽に疎くて、今更ハマっているようなひともいるんじゃないだろうかと思って書いてみる。
YouTubeにて無料配信しているので、以下参照。
演歌はいつから、「日本の音楽」でなくなったのか
元ボカロP的なシンセと、ハウスっぽいバスドラムが、ダンスミュージック的。
こんな、夏フェスよろしくな四つ打ちは、正直もう飽き飽きではある。四つ打ちは待って頂戴。
でも、民族音楽などの音楽やダンスの起源を考えると、この四つ打ちが廃れることはないのだろう。
ましてやユーロビートが根付いた、90年代J-POPのように、日本人にとって馴染みの深いリズムだ。
音楽とは、言葉を伝えるための最大の「道具」である。
この「夜に駆ける」は、音楽的な評価のほかに、その歌詞の内容が話題となっている。
この歌詞には、原作となる物語が存在するらしい。
「タナトスの誘惑」以下参照。
原作を読む前の私の解釈
「さよなら」と別れ話をすぐ言いだす女。
儚く寂しい目をした君を、僕が幸せにしてあげよう。
僕ではない誰かの事を考えてるようで嫉妬する。
「嫌だ疲れた」と繰り返すから、つい僕から別れを切り出した。
意外な返答への強がりか、微笑むもんだから可愛くて結局付き合い続ける。
というような、クソみたいな男女の情事を歌っていると思っていた。
たしかに、女が笑うとこなんかは違和感があったが、ここまで叙述トリックみたいなことしてるとは思わなかった。
死にたがるという意味では「ハサミ男」とも言えるし、落下という意味では「塔の断章」ともいえる。
やれやれ、また隠喩か・・・。
何より、隠喩が素敵じゃないか。
「屋上から飛び降りる」を「夜に駆ける」と表現するのすごい!
「月が綺麗ですね」ぐらい面白いと思う。
むしろ「死んでもいいわ」に近い。「夜に駆けてもいいわ」。
他にも、歌詞と物語を対比してみると面白いところがたくさんある。
でもこれって物語を読まずに、歌詞だけ見たら伝わらないんじゃないか?
叙述トリックは、最後にネタバラシをするから成立するんであって、
読んだ人に伝わらない叙述は、トリックというより「自称印象派アーティストの表現力不足」でしかないのでは?とも思う。
「ウミガメのスープ」をやってんじゃないんだから、自己満足ばっかりじゃなくて市場のリテラシーを考慮したものを作れよ!
まぁウミガメのスープは好きだからさ、結局今日も「夜に駆ける」を聴くけどね。