メンタルの病気はもつれた糸
私は強迫性障害を14歳のとき発症して、それから専門治療を受けないまま30年生きてきた。
強迫性障害とは、雑に解説すると戸締りが気になって確認を繰り返すとか、家が火事になってないか心配でずっと恐怖心や不安に頭が支配される、そういう病。
私がちょっと不幸だったのは、何時間も「確認行動」に没頭することが時間的にも状況的にもできなくて、無理矢理不安とともに生きてきてしまったことです。
他人から見て、目に見えてヤバいと病院に連れて行ってもらったりできるのだけど。
自分で工夫してなんとかやり過ごして、確認行動もせいぜい長くて15分くらい、たいていは3分以内で切り上げてたし、見た目上は普通の人と同じ受験だの就業だのをクリアしてたので、自分でも「まあ、なんとかできてるし、いいか」と思ってしまったんですね。
でも本当は、常に不安を抱えて生きている。いつのまにか、脳みそが作り出す恐怖の渦に突如巻き込まれる可能性に常々晒されているうちに、色々行動することが怖くなってしまった。
行動するには、不安を乗り越えるための気合いがものすごい必要。気軽に挑戦できないから失敗を極度に恐れるようになってきた。誰かに安全を担保してもらわないと、何もできなくなってきた。
そしてストレス(不安)まみれなので、疲れやすい。
こういう条件が重なると「頑張って映画とか観てもつまんなかったら疲れるから映画は観ない」とか、そういうレベルまで世界が狭まってくる。
ひたすら安全のために生きる、つまらない人生。
一方で一発逆転ホームラン、何もかもひっくり返すことがどこかに転がっているのではないか、自分の適性がピッタリはまって、何もかも順調にいく道があるのではないかと妄想するようになる。どちらもベクトルの違う完全主義。
そんな罠にはまっていることに気づいたのはこの2年ほどのことだ。
しかし、気がついてから病気の本などを読んだ結果、確認行動は減ってきた。わけのわからない不安感も普段はないし、個別具体の話になると、いかにもな強迫症状で私に残ってるものはほとんどない。戸締りなんか、鍵をかけたら確認していないでも家を出られる。
そのこと自体は喜べるけれども。
やはり物事に前向きに取り組めないこと、過去、やりたいと思ったことでも思い切り踏み込めなかったこと、病気のせいで自分から生きる選択肢を狭めてきたのかと思うと、惨めで泣けてきて、絶望しかない。
一方で、これは生き方の問題で、別に原因があるようにも思う。最早強迫性よりかパーソナリティ障害になってるかも、とか思う。
最初にもつれた糸を解かないまま、無理矢理織り上げていったら、蜘蛛の巣を重ねたみたいな物体ができました、的なイメージ。
誰かに「大丈夫、これも布だよ」とか言われても、「うるせー、オメーがなにがわかんだよ、こんなもんが布とか俺あ、思いたくないんじゃ」とか思ってしまう。
今、私は精神科に通ってはいる。
10年前に夜中、急に息が苦しくなってパニックに陥り、その後不眠を併発して「適応障害」と診断されたからだ。
きっかけは環境の変化と人間関係だったが、これは私のメンタリティのベースに強迫性があったからかもしれない。ただ、それは冒頭にも書いたように不幸にも医者にも私にも見過ごされ、治療されずにきた。
強迫性は、精神科の医師でもあまりよく分かっていない人が多いらしい。
専門医でなければ、薬を出して終わりとか、ひどいと「要は我慢して治すんだよ」とか言ってきたりもする。(ホント)
有名な文学者にして精神科医の中井久夫すら、「神経症の人間はパワーがすごいあって自殺しないから安心」みたいなことを著書「働く患者」でほざいていて、ホント墓石ぶっ壊しに行こうかな?💢💢🔪🔪🔪というくらいムカついたんだけど、要は強迫性がどれだけ人生を蝕み、患者が苦労しているかということを理解している人がプロでもあんまりいない上に、下手すると病気を抱えたまま生きていけちゃう厄介な病気なのだ。
もしかしたら、もう治っているのかも、と思いたい気持ちもあって、問題を放置してきたのだと思う。
それも病気の特性なのかもしれない。
だとしても、もつれた糸くずの塊のまま今後も過ごしたくないのであれば、とりあえず動くしかない。
というわけで、専門のカウンセラーに相談することにした。
初の面談が、明日。
正直、何をどこから治していいのか分からない気がするし、強迫性じゃないですよ、と言われるんじゃないかという気もする。
強迫性の治療は具体的な問題行動を矯正するだけになりがちとも聞くし、私の性格に近いところまで蝕んでいる認知をどこまで変えていけるのだろうか。
このまま、満足な自分に戻れず人生が終わるのかもしれない。
治療を始めることで、逆に終わりが見えなくなるような気もする。
どこでも病気と認定されなくて、ドクターショッピングをすることになるかもしれない。憂鬱だ。
それでも、少しでも変わるならやった方がいい、そういうことなんだろう。
強迫性は「自分で治そう」と思わなければ治らない病気だそうだ。
明日は来るし、私も明日を迎えに行く。
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