まあ書くと云った手前、書きますが
今回のアレについて。
理由は皆さんご想像の通りのアレです。ぶっちゃけアレ。
しかしアレも#香港加油というフレーズも、そのコミットメントの度合いの軽重はあるものの、一種の党派的共感の表明という点ではさほど変わらないものでありましょう、しかし片方は称揚され、もう片方は罰せられる、これはけっこうおっかないことだと思うんですよ、プラットフォームの判断でいつ逆しまになるのかもわからない。
あまり関係ないようなはなしになりますが、大逆事件という歴史上の重大事件があります。これもまあ100%冤罪というわけでもなくて、ヤる気まんまんで爆弾こさえて投擲の練習までしてた勢、計画のあらましまで知らないだろうけどそりゃアンタの立場上まったく責任はないとは言えないだろう勢、ほんとのほんとにとばっちりを受けた勢、3つくらいのレイヤーに分かれておったわけです。
このとばっちり勢のなかに、和歌山に住まわれていた立派なお医者様で、大石誠之助という御仁がおります。このひと社会運動にも明るく、遠来から訪ねてきた同志をもてなし、いっしょになって時の権力をくさしていたら、まさかのまさかで大逆の試みに連座していたと見做され、お縄について、あわれ絞首台の露と消える羽目になったんですね。
彼を悼んでかの与謝野鉄幹が詠んだ詩の一節に、こんなものがあります。
「大石誠之助は死にました、 いい気味な、 機械に挟まれて死にました。」
今回のあれこれを通じて、この、いい気味な、機械というものがどんなものか、挟まれて死ぬというとはどんな心持ちがするものなのか、いや幸いなことに大石先生と違って私まだ生きてますけど、いささか思い知らされたというわけです。
いい気味な、機械というものはどんなものなんでしょう。それは邪悪で堅牢な国家権力なのか、ヒステリーに陥りリンチに走る市民らの狂奔なのか、その両方に怯えるか弱き言論プラットフォームなのか。その全部なのかもしれないし、それ以外のものなのかもしれません。
なんか私が退場したあとの本土もいろいろかまびすしくなっていますし、不謹慎も不道徳もジョークも許されない、なんだかイヤな空気になりつつあるなア、という実感は正直あります。
残られている方々も御警戒のほどを、御自愛のほどを。
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