1分で読める『Hip Hop黄金期』④‐中西部編
【前置き】
80年代から90年代前半にかけ、ラップはいわゆる「Hip Hop黄金期」に突入し、言葉選びや押韻、音楽性の多様化により数々の新たな様式が生まれていきます。
今回は主に1990年代前半に焦点を宛て、各海岸のラップの特性と独自発展について、1分で読めるようにまとめていきます。
「1分で読める『Hip Hop黄金期』‐中西部編」
イリノイ州シカゴ市、N.W.A.の前座も努めた高校時代所属のラップトリオ、C.D.R.で精力的に活動していたCommon (当時:Common Sense)は大学進学とともにグループを脱退し、学業とソロ活動に勤しんでくうちにThe Source詩のUnsigned Hypeというコラムで取り上げられ、アンダーグラウンドで注目を浴び始めます。(余談だが、同コラムはデビュー前のThe Notorious B.I.G.やEminemなどもいち早く取り上げている)
翌年の1992年には音楽活動を本格化し、「Take It EZ」をシングルリリースし、同曲はHot Rap Singlesチャートにて5位まで上り詰めます。デビューアルバム「Can I Borrow a Dollar?(1992)」は歌い上げるようなラップスタイルとジャズやソウルを積極的にサンプルしたビートとCommonのポップカルチャーを引用したクレバーな歌詞は評論家とアンダーグラウンドから高い評価を得ます。
1994年にリリースされたセカンド・アルバム、「Resurrection」は前作に引き続き、ジャズやソウルを積極的に取り入れたサウンドとCommonの知的なラップが高い評価を得て、Kanye Westの師である No I.D. プロデュースで、Hip Hopを自身の恋人と比喩して語りかけてくるようラップする「I Used To Love H.E.R.」は、Ice CubeとWest Side Connectionからアンサーが返ってくる話題曲にもなりました。
オハイオ州クリーヴランド市では、ラップグループのB.O.N.E. Enterpri$e が1991年に結成した後、2年間の紆余曲折を経てEazy-EのRuthless Recordsでの契約を勝ち取ります。インディーズ時代のデビューアルバムの「Faces of Death(1993)」で披露したメンバーそれぞれが高速なフロウと、歌とラップを行き来するメロディ重視独自のラップが組み合わさったスタイルは、グループ名をBone Thugs-N-Harmony改名後リリースされたRuthless発のセカンド・アルバム「Creepin on ah Come Up (1994)」でG-Funkの音を取り入れさらに洗練され、ファースト・シングル「Thuggish Ruggish Bone」はBillboardのHot Rap Songsで#2にランクインする快挙を遂げ、90年代なかばから後半にかけて引く手数多の売れっ子ラップグループになります。
この時期になると、ミシガン州でも独自のシーンが確立されていきます。1991年はフリント市出身のラッパー兼プロデューサーの故MC Breed がG-Funk色の強い「Ain't No Future In Yo Frontin」でメインストリームをわかせ、後に2Pac やToo $hortなどとコラボし、後にMC Breedは西海岸でも名を轟かせます。
対象的に、デトロイトのInsane Clown PosseやEshamなどのラッパー達は、当時売れていたGangsta Rap/G-Funkのサウンドに抵抗する形で、独自のHorrorcoreサウンドを編み出していきます。特に後者のEshamの1993年リリースのアルバム、「KKKill the Fetus」は、米国では今でもタブー視されている中絶などを題材にラップしたHorrorcoreサウンドが高い評価を得ます。
こういったタブーや、リスナーたちが自身の耳を疑うような過激な歌詞のラップスタイルは、同郷ラッパーのEminemにも大きく影響を与えており、実際にデビュー・アルバム「The Slim Shady LP (1999)」収録の「Still Don't Give A Fuck」では「(Charles)Manson、EshamとOzzie (Osbourne)をかけ合わせて割ったのが俺だ」と、間接的ではありますがEminemがEshamにシャウトアウトしています。
また、1993年は、ファッションデザイナーのMaurice MaloneがデトロイトのSeven Mile Roadにて、後にHip Hopの聖地となるHip Hop Shopを立ち上げた年でもあります。元々は洋服屋だったものの、後にD12のメンバーになる故Proofが司会を務める、毎週土曜日16:00から18:00に行われたOpen Micコンテストが独り歩きして有名になり、後にEminem主演の大ヒット映画「8-Mile(2002)」の着想の源にもなります。
最後にこちら、下積み時代当時19歳のEminemが、Hip Hop Shopのサイファーで総スカンを食らう貴重な動画です。今となっては考えられない光景ですね。(なお、動画は1992年に撮影されたと記されているが、公式ページ曰くThe Hip Hop Shopが開店したのは1993年であるとされている)