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忙しい人のためのHip Hop史⑤ 『東西抗争編 その③ーDeath Row vs. Bad Boy ~1995 Source Awards~ー』


Quad Studioでの2Pacの銃撃からおよそ9ヶ月後、あるイベントを機に東西海岸の軋轢がさらに露骨になり、2大レコード・レーベルの衝突の激化そして、紛争の拡大へとつながっていきます。

1995年8月3日、アメリカを代表するヒップホップ・マガジン「The Source」誌が主催する、「1995 Source Awards」がニューヨーク市のパラマウント・シアターで開催されます。このイベントは米国の民間放送でも大々的に放映され、黄金期を経てメインストリームの一線に躍り出たHip Hopがこの時点ですでに音楽業界全体に浸透しはじめている事が伺えます。

当時はDr. DreSnoop Doggy Dogg(当時)の所属するMarion ''Suge'' Knight率いるDeath Row Records, The Notorious B.I.G.Craig Mackが所属するSean ''P.Diddy'' Combs率いるBad Boy Recordsが、それぞれ西と東を代表する2大巨頭レーベルという構図が出来上がっていたのが上の動画でも伺えます。

実際、イベント開始後一時間は大半がDeath RowとBad Boyのアーティストたちがそれぞれ長尺でメドレーを披露するなど、これら2大レーベルがHip Hopに絶大な影響力を及ぼしていたのがよくわかります。

もはや出だしから東西の巨大レーベルの覇権争いを煽っていると捉えられてかねない番組構成ですが、Death Row側がこれに便乗し、事態は急発展していきます。

映画「Above The Rims」のDeath Row Records発のオフィシャルサントラが「Motion Picture Sound Track of The Year」賞を受賞すると、ステージに上ったSuge Knightが主演俳優で獄中にいた2Pacにエールを送った後、名指しこそしないもののP. Diddyをディスった内容のスピーチを展開します(以下、意訳):

「もし(一流の)アーティストになりたいのならそして…プロデューサーがいちいちミュージックビデオや音源に介入することを不満に思ってる奴らがいたら、Death Row Recordsに来い!」

↑上記は自身のレーベル所属アーティストの音源やビデオにもほぼ必ず出演していたP.Diddyに当てつけであるのはほぼ間違いなく、ほぼほぼニューヨーカーたちに埋め尽くされたパラマウント・シアターの観客席からは大ブーイングが起きます。

これを見かねて、のちにSnoop Doggy Doggもステージに上がり観客席を煽り始め、イベントは一時的に大混乱に陥ります。P.Diddyもステージに上がり、大人の対応で交わしましたが、このイベント以降東西抗争はさらに混迷を極めていきます。


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