忙しい人のためのHip Hop史④『多様化と進化‐前編〜Hardcore Rap〜』
1980年代前半から半ば、ディスコブームの終焉とともに、Hip Hopのサウンドはさらに多様化し、よりアグレッシブなものへと進化していきます。
ディスコやエレクトロのサウンドの上に軽快なラップを乗せるサウンドから一転、3人組ラップグループRun DMCが「It's Like That/Sucker MCs」でデビューすることにより歌詞はより強気になり、ビートのドラムはより重厚感のあるものに変わっていきます。
その同時期、当時新興レーベルであったDef Jam RecordingsからデビューしたLL Cool Jの「I Need A Beat」やBeastie Boysの「Rock Hard」各々の大ヒットによりそれにさらに拍車がかかります。
一方でRun DMCの快進撃はその後も止まらず、男女のグループがブレイクダンスで競い合うMVが非常に印象的な「It's Like That」のヒット後、1986年の「King of Rock」や、The Knackの「My Sharona」をサンプルした「Tricky」、Aerosmithとコラボカバーした「Walk This Way」等、ロックの激しい音を積極的に取り入れたアグレッシヴな曲調はオーディエンスの拡大にも繋がっていきます。
Def Jamも負けじと、それぞれがAC/DCをサンプルしたLL Cool Jの「Rock The Bells」、既述のBeastie Boysの「Rock Hard」等を代表例に、ハードロックを積極的に取り入れたサウンドでロックやメタルのファンにも注目されていくようなります。
これらは同じくDef Jamのレーベルメイトであった社会派ラップグループ、Public Enemyのサウンドにも大きく影響を与え、このようにHardcore Rapが完成されるのです。(例えばPublic Enemy の「She Watch Channel Zero?!」は、Slayerの「Angel Of Death」のリフとJames Brownのドラムブレイクをサンプルした、かなり激しくかつ画期的なトラック作りになっている。)
なお、東海岸のHardcore Rapは、西海岸のGangsta Rapの発展にも大きく影響を与えますが、これについては後日、西海岸編の第二弾で触れていきます。
80年代も後半に差し掛かると、Hip Hopは文学とスポーツの要素を同時に取り入れるようになり、競争性をますます高め更に発展していくのです。