それは!物語に過ぎないのかも・・・
ユバル・ノラ・ハラリ‘ #21世紀における21の提言 (英語版)’第20の提言 #意義 P281~283
(本日の報告)
お陰様です、ありがとうございます。本章は、昨日アップのものと異なり、2ページでした。初見で読み、精読し、一気にアップまでできました。私が訳した、‘作り話’‘その話’の原文は‘story’です。最適な訳がなかなか見つからず、、、トホホ・・。良い訳があったら、みなさん!是非とも、ご指導下さい。お願い致します。
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(本題)
良い作り話は、人に役目を与えてくれて、人の地平線を広げてくれるが、 #真実である 必要はない。
作り話は、単なるフィクションであるが、人にアイデンティティーを与え、 #人生に意味がある と思わせる。
とりわけ、科学的な見地をとると、文化、宗教、部族が歴史を通じて発明した数多くの作り話は、 #真実ではない 。それらは、すべて人間が発明したものに過ぎない。
もしも、 #人生の本当の意味を探し求め 、答えとして、ある話にたどり着いたとする。
これは、間違った答えであると知りなさい。
詳細は、問題にならない。どんな作り話も誤りであり、ただ単に作り話として存在している。
そうしたらなぜ、人々はそのようなフィクションを信じるのだろうか?
一つ目の理由。
個人のアイデンティティーは、作り話に基づいている。人は幼少期から、その話を信じるように教えられる。
彼らは、両親、教師、隣人、一般文化からその話を聞く。そのような話を問題視し、精査するのに必要な知性や感情的独立も持たないうちに。
彼らの知性が成熟するころには、彼らはその話にたいへん依存していて、それを疑うよりも正当化するために知性を使う。
二つ目の理由。
私たち個人のアイデンティティーだけでなく、集合的組織がこの作り話を拠り所にしている。
したがって、この話に疑いを持つことは、この上なく恐ろしいことである。
多くの社会で、そうしようとする者は誰でも、のけ者にされ迫害される。
たとえそうでなくても、社会の基盤を問題視することは、勇気のいることである。
なぜなら、もしもその話が間違っていたら、私たちが知っている社会全体が、意味を持たなくなる。
国家の法、社会の標準、経済機関。 #これらは全て崩壊する 。
個人のアイデンティティーと社会全体のシステムが、いったんその話の上に築かれたら、それを疑うことは考えられないこととなる。
証拠がそれを支持しているからではなく、その話が崩壊すれば、個人と社会の大破局を招くからである。
歴史において、