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「自分」という存在はイリュージョン?

ユバル・ノラ・ハラリ‘ #21世紀における21の提言 (英語版)’第20の提言 #意義  P297~302

(著者の結論)

#自己  ’は、存在せず、ニューロンが信号を交換する際に作り上げられたイリュージョンである。

(本題)

私たちは自分を宇宙に関する既存の物語に合わせることによって、 #生きる意味  を見つけようとしている。

しかしながら、宇宙は、 #生きる意味  など与えてくれない。

むしろ、自分が、宇宙に意味を与えているのだ。

「これが、神から与えられた天職である。」というが、

人には、 #定められた運命やダルマなどない

もしも、私が壮大な物語に、自己を見出したとする。私は、その物語のために戦うことさえ選択できる。

しかし、私はそんなことはしない。私は、ミュージカルを楽しむ為にブロードウェイに行き、シリコンバレーに引っ越し、起業する。自分自身のダルマをつくることは、自由なのである。

#人間の自由も人間の創造性  も、リベラルストーリーが描いているようなものではない。

最新の科学的見識によれば、 #私たちの選択や創造  の背後にマジックのようなものは存在しない。

それらは、バイオケミカル信号を交換している #数10億個のニューロンの産物である

例えば、人間をカトリック教会やソビエト連邦の束縛から解放しようとしたとする。しかし、人間の決定は、教会やKGBと同じくらい情け容赦なく、 #バイオケミカルアルゴリズム  によってすでに定められている。

リベラルストーリーが私に、 #表現の自由と自己認識する自由  を探すように教える。

しかしながら、‘ #自己  ’も ‘ #自由  ’も、実在しない怪物である。リベラリズムには、‘ #自由意志 ’という頭を悩ますような考えがある。

人間には、確かに‘ #意志  ’がある。そして、願望があり、願望を満たす自由のようなものがある。

もしも、‘ #自由意志  ’という言葉を、望むことをする自由があると解釈するならば。

そう、Yes.人間には、‘ #自由意志  ’がある。

しかし、もしも、‘ #自由意志  ’という言葉を、望むことを選ぶ自由があると解釈するならば。

そう、No.人間には、‘ #自由意志  ’などない。

あなたの心の中に去来する考を例にとってみよう!

#その考えはどこから来ましたか ?’

#自由にその考えを選ぶことはできましたか ?’

きっとNoである。

自己探求という過程は、簡単なことで始まるが、徐々に難しくなっていく。

まず、私たちは、 #自分の外の世界をコントロールしていないと認識する

例えば、いつ雨が降るか決められない。

次に、私たちは、 #自分の脳さえ支配してないと認識する

例えば、ニューロンがいつ崩壊するか分からない。

最後に、私たちは、 #自分の望みをコントロールしていない 、さらには、 #望みに対するリアクションさえもコントロールしていない 、と認識すべきだ。

このように認識すると、私たちの意見、感情、願望を過大評価せずに済む。

私たちに、‘ #自由意志  ’などない。

しかし、そう考えると、‘ #自分の意志  ’という制圧から、もう少し自由でいられる。

人間は、願望を重要なことだと捉えすぎているので、その願望に従って、世界全体をコントロールし、形作ろうとする。この欲望を達成するがために、人間は、月に着陸し、世界大戦を引き起こし、自然環境を破壊する。

もしも、願望は、‘ #自由選択  ’から現れ出たものではなく、むしろ、 #バイオケミカルプロセス  の産物であると、私たちが認識すれば、願望から私たちは解放されるであろう。

私たちの頭の中に去来するファンタジーを実現させようと躍起になるよりも、 #自分を#自分の心を#自分の望み  を理解することの方が得策だ。

そして、自分を理解するために、最も役立つことは。

#自己  ’とは、 #私たちの心の複雑なメカニズムが作り上げ#アップデートし  、 #書き換える作り話である 、と知ることである。

人は、‘ #私はだあれ ? ’と、問いかけ、 #ある物語  が語られるのを期待する。

しかし、自分自身について最初に知るべきことは、

#あなたは物語ではないということである

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