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仏教が注目される訳

ユバル・ノラ・ハラリ‘ #21世紀における21の提言 (英語版)’第20の提言 #意義  P302~306

(私の説明)

著者は、仏教の考え方をたいへん評価している。 

#サピエンス全史  では、ブッダの教えをページを多くとって紹介した。

また、 #ホモデウス  でも、たいへん興味深くその教えを論説した。

私たちの日常にも、その教えは深く浸透している。

例えば、「無我夢中」という言葉がある。「我が無いくらいに物事に熱中するさま」である。

また、「私」という言葉がある。私=禾(のぎへん)+ム(無のカタカナ表記)。実ることが無い存在。

易行という行(ぎょう)がある。周りに何もとらわれることなく、今やることを今やる。

我を無くして、私を無くして、夢中で、今のことを行うことである。禅とも共通する。

蛇足ながら。五木寛之氏の「親鸞」の言葉を、紹介しておきたい。

「易行、易行というが。易行とは、悩み苦しみ果てた者が、最後に必死ですがる唯一の行なのだ。」

(本題)

#人が瞑想するとき 、その体を注意深く観察する。

‘この肉体の中に’何もない。

あるのは、髪の毛、肌の毛、爪、歯、肌、肉、腱、骨、髄、腎臓、心臓、唾液、はなみず、尿。

このようにして、人は体を観察する。そして、人は、結論を見出す。

“これが、体だ。”

髪も、骨も、尿は、何か他のものの代わりをしない。

それらは、ただ単に、ありのままの存在だ。

#瞑想者  が、その体やその心の中に、何を見つけ出そうとも、彼はただ単に、それをあるがままに受け取る。

したがって、#僧侶 が呼吸して、

‘呼吸が深い’とき、彼はきちんと‘私は呼吸が深い’と認識する。

‘呼吸が浅い’とき、彼はきちんと‘私は呼吸が浅い’と認識する。

長い呼吸も、浅い呼吸も、何か他のものを示すわけではない。

それらは、ただ単に、その体の中の‘ #ゆらぎ  ’である。

#ブッダ  は、宇宙の持つ3つの基本的要素として以下をあげた。

‘#全てのものは移り変わる。’‘#不朽の要素などない。’‘#完全に満たされているものなどない。’

あなたは、銀河の最も遠いところを探索できる。すなわち、あなたの体を、あなたの心を。

しかしながら、 #移り変わらないもの#不朽の要素を持ったもの#完全にあなたを満足させてくれるもの  になど、決して出くわさないだろう。

苦悩は、起こる。

なぜなら、人々はこのことをきちんと理解していないからである。

人々は、信じている。

どこかに、 #何か不朽の要素が存在し 、そして、もし、それを発見することさえできれば、それにつながることさえできれば、 #完全に満足できるであろう 、と。

#この不朽の要素  とは、時に、#神。時に、#国家。時に、#魂。時に、#正真正銘の自己。そして時に、#真実の愛 と呼ばる。

そして、ほとんどの人がそれに魅了させられる。

それを見つけようとして失敗するがために、人々は失望し、嘆き悲しむ。

#ブッダ  によると、人生に意義などなく、人はどんな意義も作り出す必要はない。

#意義などないと認識する必要があるだけだ

そして、こうすることによって、空っぽの現象に心ひかれるがために引き起こる苦悩から解放される。

‘私は何をすべきですか?’とある者が問う。

そして、 #ブッダ  は答える。

#何もするなかれ#全く何もするなかれ 。’

全ての問題は、私たちが、 #絶えず何かしているということである

必ずしもフィジカル面だけではない。

目を閉じて1時間動かずに座ることは可能である。

メンタル面では、私たちは物語をつくり、戦いを繰り広げ、勝利を得るのにたいへんいそしんでいる。

本当に何もしないとは、心もまた

#何もせず #何もつくらないことを言う

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