清明上河図--都市と多様性
前から何とはなしに眺めていたようだが、宋代に描かれた『清明上河図』という存在を発見した。都市に生きる人々がパノラマのように緻密かつ繊細に書き込まれている。遠景から徐々に目を凝らすと運河や街並みに沿って、荷物を満載する船、天秤棒を担いで行商する人、ロバで荷物を運ぶ人、木陰のカフェ、占い師、香辛料店、居酒屋、サトウキビ売り、ロバがいる。当時の人々の息づかいが聞こえてくる。
この時代の開封には、石炭、鉄、陶磁器、絹織物、紙、製糖、製塩、醸造などの手工業が盛んになり、火薬、印刷、羅針盤の発明も発達もあって、商業も活発になり、100万都市が出現した。それでこの賑わいらしい。
また時の皇帝徽宗は街にお忍びで通い、楽しんだとか(宮崎市定他『世界の歴史 6 ─ 宋と元』(中公・旧版)、1961年。同書についてはりきぞうさんが書評している)。桃鳩図に見られる豊かな画才といい、これでは国を統治などできまい。風流が過ぎて滅びるという私が好きなエピソードだ。宋時代は、日本の江戸やオランダが賑わう5世紀も前の話だ。
書いていて思い出したが、この時代の儒教はリベラリだったという議論があるのを思い出した(Wm.T.ドバリー『朱子学と自由の伝統』平凡社)。積読だったが読んでみよう。
ベルリンを愛した哲学者で社会学者のジンメルは「分業」結節としての都市によって人々は自由になり、個性的になると指摘した。そこで人々は個々の欲望を追求することが新たな職業や趣味を生み、その多様性を活かしたままお互いを支え合うことを可能にするというのだ。
思いつくままに都市を感じさせる絵画を引用しておこう。一枚目は、いわずと知れたフェルメールの『真珠の首飾りの少女』1665年?である。当時を再現した同名の映画(ピーター・ウェーバー監督、2003年)を見ると、アジアの近世都市より規模が小さい。しかし、この少女に対するスポットライトの当て方は明らかに当時最先端の光学技術を反映しているし、鮮やかな藍色や黄色の絵の具は、貿易で手に入れたものがもとになっているだろう。こうしたことが、ヨーロッパが19世紀にユーラシアの大帝国を凌ぐパワーを持つことを予感させる。
もう一枚はモンドリアンの『ブロードウェイ・ブギウギ』1943年。格子模様は、高層ビルや車道のモダンな直線都市だろうが、それがカラフルに瞬くことによって、絵画なのにリズムが生まれている。そのことが足早に歩く人々、車の音、どこからともなく聞こえてくる音楽があふれるニューヨークをありありと想起させる。
ちなみに、坂本龍一にこの絵画を見事に音楽化した同名の曲がある。
芸術はその時代のその社会の何かを伝えるメディアだ。その時代の芸術を見れば、その時代の雰囲気が分かる。
見出しの絵は、https://ja.wikipedia.org/wiki/清明上河図より
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