人生は「編集」で変わる—松岡正剛さんの思考法から学ぶ編集力
日本の実業家、編集者、著述家である、松岡正剛さんの『編集工学』に、ここ数年とても興味を持ち始めています。
多くの人に惜しまれながら、2024年の夏に故人となられた松岡さんですが、その思想や知識、思考法を受け継ぎ、これからの時代の道標にしようとされている人々も少なくありません。
IT革命による超情報化社会、スマートフォンとSNSの浸透による人類のオンライン化、溢れんばかりのコミュニケーションの波に飲まれながら生きる我々現代人にとって、『本当に大事なことは何か』『どう生きていくか』『今はどんな時代なのか』をしっかりと認識する力として、松岡さんの提唱される編集力は、とても大事な示唆に富んでいると思います。
「すべてのものごとは編集されている。」
松岡正剛さんは生涯編集者として、ありとあらゆる物事に潜む、編集と向き合い研究し、伝えて来られました。
松岡さんが語るところでは、ラグビーのチームプレー、料理の段取り、子育て、ビジネス戦略…。それらはすべて“編集”という技術によって成り立っていると言います。
そして編集とは
「情報の特徴を読み解き、新たな意匠で再構築する技術」
である。
とも、説かれています。
技術である以上、身につけ、磨くことができるということです。
この『編集』という技術を意識的に使いこなすことで、「世界」と「自己」をつなぐ思考法を養い、人生や仕事、日常の暮らしをもっと豊かにできるのではないか。
私はそんな期待とともに、編集力、というものを改めて認識し身につけたいと思っています。
今回は、そんな編集というものの捉え方について、松岡正剛さんの著作『知の編集工学』を参照させていただきながら、まとめてみたいと思います。
なぜ今、編集力が必要なのか?
情報や選択肢が無限に広がる現代では、ただ知識を蓄えるだけでは不十分です。
たとえば、現代のビジネスシーンを見てみましょう。大企業が蓄積した膨大なデータも、それ自体では単なる数字の羅列にすぎません。しかし、そのデータをうまく組み合わせ、顧客の行動やニーズを読み解き、戦略へと再構築することで、新たなビジネスチャンスが生まれます。
近年のサブスクリプションモデルやシェアリングエコノミーは、その好例です。
また、日常生活においても編集力は発揮されます。たとえば、冷蔵庫の中にある余り物の食材を見たとき、それぞれを個別の材料として認識するのではなく、「この材料を組み合わせれば、こんな料理ができる」と考えられる人は、無駄を減らし、新しい料理を創造することができます。
情報だけでなく、人間関係や人生そのものも編集の対象です。過去の経験、今の自分、未来のビジョン。それらをひとつひとつ丁寧に整理し、つなげることで、自分自身の人生の意味や目的を見つけ出すことができるでしょう。
編集力とは、無数に散らばる要素の中から「意味のあるつながり」を見出し、それを再構築する技術です。そしてその力は、ビジネス、日常生活、人生設計、さらには社会全体に至るまで、あらゆる場面で必要不可欠なものになっています。
日本文化の超編集的な特性
話は少し変わりますが、私たちが暮らす日本の文化は、「わかりにくさ」「曖昧さ」を内包し、その中に独自の美意識や深いコミュニケーションを育んできた、世界でも特異な文化であると言えます。
一本の柱を寄り所とする八百万の神。
茶道における「侘び寂び」。
俳句の枕詞による日本の情景。
中国語のリミックスで生まれた漢字とカナ文字の言語体系。
本家・家元・家柄、『家』を重んじる世間の価値観。
『空気を読む』、察する、慮る、日本人独特の暗黙のルール。
etc…
日本人同士であっても、これら日本の特徴を端的に説明するのは難しいでしょう。
しかし松岡正剛氏は、この「わかりにくさ」「曖昧さ」こそが、日本文化の超編集的な特性だと指摘しています。
すなわち、日本文化は意味を一方的に固定するのではなく、関係性や文脈の中で意味を生成し続ける「編集の場」であるというのです。
わかりやすさや効率性を追い求める現代社会にあって、この「わかりにくさ」や「曖昧さ」を受容する感性こそが、私たちに新しい思考と創造の余白をもたらすのではないでしょうか。
日本文化が持つ「超編集的なハイコンテクスト性」を理解し、再解釈することが、これからの世界や社会に新しい価値を提供する鍵になるかもしれません。
知力・体力だけではない、豊かな人生のための編集力
最後に、私は編集力とは単なる情報整理の技術ではなく、「自分自身と世界を再構築するための視点と技法」だと考えています。
まず、自分自身をメタ認知することで、日々の暮らしやビジネスの中で、の己を現状認識し、適切な行動を選択できるようになります。
そして、人生全体を編集的に捉えることで、日々の出来事が無意味に散らばるのではなく、ひとつひとつがつながり、思考や行動が有機的に結びつくようになります。
あらゆる物事には、何かしらの帰結にたどり着く思考の道筋があり、そうするとあらゆる悩みもなくなるのではないかと思うのです。
例えばお金の悩みも、別の価値観や暮らし方、家族や友人との繋がりに視点を移せば、それは悩みではなく生きがいとして編集することも可能です。
さらに、身体操作や時間管理も編集の一部だと、私は感じています。
元陸上選手の為末大(ためすえ だい)氏の著作に『熟達論』という本があります。
為末氏によれば、「熟達」とは、単に技能を磨くことではなく、技能と自己が影響し合いながら成長することだといいます。
例えば、アスリートが「無駄な力を抜く」ことを覚えるように、私たちも日常生活や仕事の中で、無駄な動きや無理な姿勢を排除し、自然な動きに最適化することで効率的な身体操作が可能になります。
熟達論の中で、動きの最適化、成長のプロセスを以下の4段階で説明されています。
型(かた): 無駄を省き、基本の動作を習慣化する。
観(かん): 自分の動きの細部を観察し、改善点を見つける。
心(しん): 核となるポイントを見つけ、そこを基準に全体を調整する。
空(くう): 無意識のうちに身体が動き、最適な状態に至る。
このように『型』から入った基本の習慣が、『空』という身体操作が無意識かつ最適な状態に至る、というのは「自分自身が編集できている状態」であり、日々の動きやルーティンを頭と身体で理解し効率化することに他なりません。
たとえば、立ち仕事が多い場合、「足の重心の置き方」や「姿勢の維持」に意識を向けることで、疲労感が劇的に変わることがあります。これはまさに、自分の身体を編集する行為です。
限られたエネルギーや時間を最適化し、無駄を削ぎ落とすことで、よりクリエイティブで充実した活動に取り組むことが可能になります。
そして何より、編集力は知力や体力だけでは乗り越えられない限界を超え、新たな可能性を開く鍵でもあります。
知力や体力だけでは到達できなかった領域に、異なる視点や発想を持ち込み、新しい答えや成果を生み出せるのです。
私は編集力のトレーニングを通じて、暮らし、仕事、そして人生のビジョンに対して新しい道筋を見つけ、より豊かで意味のある未来を築いていきたいと考えています。
それは家族や友人など、関わる人達との繋がりを見つめ、改めて大切にするための学びにもなるだろうから。
皆さんも、自分自身や身の回りの出来事の編集力を見直し、今までとは違った価値観、時間の過ごし方にトライしてみてはいかがでしょう。