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串が余計

スイミングから帰ってきた娘が、小さいビニール袋の包みを渡してきた。中身は焼き鳥である。

近所のスーパーの軒先に週3回現れる、焼き鳥の屋台。この町に引っ越してきた当初は物珍しくて何度か買っていたが、味が普通なのと店主の爺さんが無愛想を通り越してもはや失礼なんじゃないか、と買うたびにモヤモヤが募り、最近は足の向くことがなかった。
ただ娘はやっぱり食べたくなる時があるようで、スイミングの帰りにスクールから我が家まで送るミッションを遂行中の父親、つまりわたしの元夫につくね串をねだったようなのだ。

袋を開けると汁がこぼれるのを防止するための薄いキッチン用ポリ袋に、プラスチックのトレイから大幅に転げ出ている鳥串が4本。つくね串が2本と、ねぎま串とレバー串。7歳になる娘は挽いてあるものはともかく、いまだに形のままの肉が食べられない。内臓なんてもってのほかだ。つまり、このねぎまとレバーはわたしのために買ったものなのであろう。

「アジフライ用意しちゃったんだけど」
と言うと娘はいけね、という顔をしたが、まあ仕方がない。
食卓について夕食を食べ始める。生野菜と、レトルトのカレーとアジフライ、そして焼き鳥が一人2本ずつ。どう考えても多い気がする。

「つくね以外ってさ、パパが選んだの?」
「そう」

もう夕飯を用意してるだろうな、焼き鳥なんて余計かな、とかそういう気遣いがないのもどうかと思うが、それよりわたしの癪に触るのは串のセレクトの精度の低さだ。
レバーもねぎまも決して嫌いではないが、精魂込めて作っている気配のない巡回の屋台ではどうしても期待値が低くなる。食べてみたところ、やはりレバーは苦味が先立ち、ねぎまも硬く串離れが悪い。味の程度が明らかでない店では、ネタに対する期待値とパフォーマンスに差が出づらいものを頼むのが定石ではないか。たとえば皮、ぼんじりなど脂の多いネタ。そもそもが脂を欲している人しか頼まないし、絶対的に脂が多いため間違いがない。もしくは軟骨、ハツ、砂肝などの歯応え系。これも頂点レベルはいざ知らず、屋台系でも大きく期待を外れてくることはない。なのに何故、レバーとねぎまを選んでしまったのか。

離婚して6年以上、考えてみれば家族として暮らしていたのは2年くらいのもので、わたしの焼き鳥の好みすら知る前に別れてしまったんだなと思う。つくね2本だけ買うのに気が引けたのかもしれないが、そこに「気の利く元夫気取り」みたいな心理がわずかにでも働いてはいなかっただろうか。だがその元夫気取りも、細部まで行き届いているわけでもない、そんな男と結婚してしまったという自責の念に結局は辿り着いてしまう。

「もう、ママの分は買わなくていいからね」
娘に言ったものの、これはよくなかったなと即座に反省した。かといって「わたしには買わないでくれ」とわざわざ元夫にLINEをするのもわずらわしい。
わたしは舌に残るレバーの苦味をどうすることもできず、ただカレーをかき込んだ。

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