親の第一義的責任って言葉重すぎるのよね。
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自分たちの子どもを育てる上で、第一義的責任があるのは重々理解するけど、これが法律に記載されているという重みというか、まぁ当然といえば当然なんだけど、他になんか良い言葉ないのかなと思ったり。
実際まぁ責任があるのはわかっているし、責任持ってきちんと育ててきたいと思っているけど、親2人だけで育てていくのってなかなかきつくて。
まぁ社会がそれなりに支えてくれてはいるけれど、いろんな面でやっぱり足りないんだろうなとも思う。
責任は親に全てあるみたいな言葉が、社会は周りは関わらなくていいんだというか、周囲の無責任を生み出してもいるのかなと。(周囲というか近所に責任が発生するかっていうのは議論あると思うけど、私は一定の責任を発生させてもいいんじゃないかなぁって、まぁ無理だと思うけど。)
昔は近所の人も一緒に育ててくれていたという話をよく聞くけど、それがまぁ美化されてたりもするけど、一切周囲と関わらずに、周囲の助けなしに、子育てするのって無理ゲーに近いなぁと。
保育士さんや幼稚園の先生、小学校の先生、役所の人や病院の人等と関わりはあると思うけど、それってまぁ向こうはどこまでいってもこちらと関わるのが仕事なわけで。
そういう関係性じゃなくて
だんだんと近所付き合いというものがなくなって、人と関わらない権利みたいなものができて、逆にそれが子育てをはじめると、自分たちの首を絞めはじめて、気軽に関わることが難しくなってしまって、
第一義的責任だけじゃなくて、責任の集中砲火を浴びせられて、
どんなことにも責任が付きまとって、
子供が起こしたことは全て責任を追わなきゃいけなくて。
責任責任責任の嵐
それは正しいんだけど、
周囲の理解や助けがあれば、責任を追わなくて済んだりすることもあるんじゃないかな。
子育て世帯、子どもを産む親が減ってるのも
子育て世帯に取って苦しい時代になってる一因かもしれない。
周りに仲間がどんどんいなくなるからね。
それこそベビーブームの時代は周囲が仲間でいっぱいで助け合えてたのかもしれない。
子育て世帯に力があったのかもしれない。
これから子育て世帯の意見ってどんどん弱くなるんだろうな。
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