SPOOKYPUMPKIN2024
ただただすきだったものに、なぜこんなにも惹きつけられるのか。大人になるにつれてその理由がわかるようになっていく気がする。
別にすきなものはただすきなだけで充分なのだけど、ドラマ『だが、情熱はある』に「いい夜だ、名前をつけたい」という台詞があったように、あまりにも心が動かされた出来事は言語化したくなる。言語化することがまた自分にとってのしあわせでもあるので。感情は財産なので。
「何着る?」「これいいんちゃう?今からパーティーだからな」と、ほぼ舞踏会に行く人の会話をしながら用意をして、電車にのる。
年末年始でもハロウィン当日でもない、なんでもない日の夜中、街行く人たちと逆方面に向かった先に、ピューロランドのエントランスがカラフルに輝いている。
最終電車もなくなって、いつもなら閉まっているピューロランドが開いている。時間の概念もなくなったみたいに、真夜中にケーキを食べたり唐揚げを食べたり、音楽にのって揺れている。この場所に来ることを選んだ人たちだけの、特別なパーティー。
細部までカワイイが作り込まれた空間の中で、爆音の音楽に包まれながら過ごす時間は、現実からいちばん遠い場所に感じて、胸が躍った。
そうそうわたしはこういうのが大好きなんだ!ずっと「非日常愛してるよ!」って一言心で叫んでいた気持ちは、言葉にするとこういうことだった。
悪い意味でもいい意味でもなく、一歩外に出た時点で、多少無理をしている。無理をしないなんてことは、不可能に近い。
心の赴くままにすきなものを存分に楽しめて、きれいなものをきれいと思える状態は、当たり前のようで当たり前ではない。
だけどだいすきなものとだいすきな人たちとの時間を存分に楽しめるように、いつでもそんな状態でいられるように、できるだけ毎日無理しすぎることなく、できるだけごきげんに過ごしたい。それだけはがんばりたいなと、目が覚めながら見た夢のような場所で、強く思った。