提言「子どもたちが生き生きと学べるコロナ収束後の学校づくりを」
みんなが考えさせられた「学校」という場所の意味
4月、始業式。約40日間の臨時休校を終え、子どもたちは新しい学年に不安と期待を持ちながら学校に帰ってきました。
小学校5年生に進級した子が、新学期に次のような詩を書いてくれました。
ある低学年の子は日記で「学校が休みになったことを知ってやったぁと思ったけど、やってみると学校に行ってた方がいいなぁと思いました。・・・」と書いてくれました。
最初は喜びだった家にいられる生活も、月日が経てば魅力的ではなくなってしまったのでしょう。「学校に通ってる方がしあわせ」という心の深い部分にあるものを表現してくれたようです。
また、別の中学年の子は、4月さいごの登校日の帰り際「せんせー!私は学校に来たくてしょうがないんだよぉ」と切なそうに訴えて家路につきました。家だけでは満たされない学校という場所の価値を自分の語れる言葉で表現してくれたのかもしれません。
こうした声に耳を傾けると、子どもたちにとって「生きる」とは、学ぶことであり、学校に通うことだと気づかされます。子どもたちにとっての学校という場所が持つ意味は、私たち大人が考える以上に大きいのです。
2月末から、およそ70日の臨時休校が続きました。
子どもたちはひとつ進級し新しい仲間や担任に出逢い、あるいは進学をして新しい環境にふれた瞬間で「時間(とき)」が止まってしまいました。
学校は「教育・福祉、そして医療」という社会基盤がそろっている場所です。仲間と関わり学び合い、美味しい給食に心と体を満たし、気持ちや体調がすぐれない時には養護教諭の先生やスクールソーシャルワーカーの方と腹を割って話したりすることもできます。
学校には、子どもたちが幸せを分かち合えるような営みを作り出す力があります。学校は地域の真ん中にあって、子どもたちに関わる大人をつなぐ場所でもあります。集う大人たちが「この地域で子どもたちをこんなふうに育てていきたい」という願いと力合わせがあります。
子どもに寄り添う学校づくりを
学校教育は、学校行事等を含む教育活動を通して協働的な学び合いが行われる営みです。子どもたちが学校で生き生きと学ぶことや、教育活動を通して生き生きと、「ぼくは、わたしは、いま『生きている』!」と実感できる学校づくりを、学校ぐるみで考えていく必要があります。
私たちは、本格的な学校再開を前に、大幅な時数不足や感染予防に議論が終始し、子どもたちの姿を置き去りにしてしまうことを危惧しています。
これまでの多くの時間を家庭で過ごした子どもたちは、学校に戻ってきて「人と関わるよろこび」を第一に表現するかもしれません。発達段階によっては、授業中の落ち着かない言動や、けじめのない行動などが目立つこともあるでしょう。
運動会が延期や中止になってしまった小学校、部活動の大会という大きな節目がなくなってしまった中学校の教育活動の中で、子どもたちは目標を見出せず、ストレスを表現することがあるかもしれません。
私たち教職員は、子どもたちの思いに寄り添い教育実践を組み立てられる「教師の専門性」を持っています。
学校再開にあたり、学校に戻ってきた子どもたちの休校中の思いや、いまの不安を受け止めながら教育活動を軌道に乗せていくような、思いやりのある学校づくりを進める必要があります。
休校明けの「カリキュラム・マネジメント」への力合わせを
4・5月の臨時休校で100時間を超える学習活動の遅れが生まれています。必然的に、年度当初に確認している教育課程を見直す作業が必要です。
文部科学省は5月18日付の通知の中で、児童生徒・教職員の負担軽減に配慮しながら学校における指導を充実させることの必要性を掲げ、必ずしも標準時数ありきではないことを示しています。
学習指導要領で示されているカリキュラム・マネジメントの考え方に立てば、学習指導要領における各教科の「内容」を漏れなく効果的に学ぶよう学習計画を再構築したり、教科等横断的な学習をより一層意識して単元計画を改めて行うなど、本格的な学校再開を前に各学校で考えられることはたくさんあります。
詰め込みや窮屈な日課で「こなす」のではなく、子どもたちの学びを豊かにする視点で教育課程を改めて考えるのです。これこそ私たちが昔から大切にしてきた「教育課程づくり」なのです。
学校再開の節目は、「『カリキュラム・マネジメント』の考え方のもと、わが校の教育課程づくりをさらに進める」ということを教育関係者は立場を超えて尊重しあい、力合わせを進める節目としなければなりません。
コロナ収束後の学校のすがた
「オンライン授業」や「9月入学」など、報道ではコロナ収束後の新しい学校の形が早々に論じられています。 また、文部科学省は「新しい学校の生活様式」として、「可能な限り身体的距離を確保すること」を掲げています。
コロナ収束後の学校づくりを考える際には、学校は人と人が信頼を寄せ合い安心して暮らし合える共同体であり、そこに学びが生まれるという、これまで大事にしてきた「学校づくり」の姿を土台として考えたいものです。
そのうえで、今回の一斉休校のように学校に集まることができなくなった場合の代替の手段としての「オンライン授業」に備えたり、制度として少人数学級の導入をすることで集団感染の危険性を回避したり…といった新しい取り組みを考える必要があります。
その際にはここまで触れてきたような「『学校』の意味」を大切にした議論が欠かせないのは言うまでもありません。
子どもたちが不意に考えることになった「学校ってなんだ?」という思いに寄り添える学校づくりを、ともに進める力合わせの輪を広げましょう。
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PDFではこちらから。道教組ホームページ「提言『子どもたちが生き生きと学べるコロナ収束後の学校づくりを」