みんな、ただ「のほほん」と生きれば良いのだよ。
平成最後の夏、
「適度な運動は身体に良い」どころか、
わずか数分の外出でさえ息苦しくなり、
目まいがし、
運動などしようものならたちまち卒倒しそうな、
気温35度超、
尋常ならざる夏。
爆弾台風が未曾有の豪雨を全国にもたらし、
甚大な被害を招いた、
穏やかならざる夏。
どこか胸騒ぎにも似た、モヤモヤとした感覚を喉の奥に詰まらせながら、
僕たちはこの夏の終わりを迎えた。
そして、
そんな無慈悲なる自然の猛威や摂理と否応なく対峙させられ続けてきた、
我々人間の歴戦の記録を紐解き、
そして、
やはり我々は人智を以て、その歴史から次なる行動を処すべきである、
と自己を啓発するに至り、
そして、
多くの犠牲を伴いながら、
やはり人の暖かさや優しさに感謝することの尊さを反芻し、
そして、
次代の担う子供達がその暖かさに包まれながら時を数えることを切に願う。
その願いの連鎖が、
大きな塊となって世界を包むことを夢想する。
そして、
どうか、世界中の影響力を持った大人たちがこの夢想を共有することを願う。
そして、
多くの人々は変わらず日常を歩む。
人はそれぞれの歩みを、
日常の歩みを止めてはいけない。
なぜなら、その何気無い普段の歩みこそが、
今この瞬間、訳あって「歩み」を止めざるを得ない人々の、
必ず訪れる新たな「歩み」へのエネルギーとなるから。
「今、○○が大変なことになっているのに、
インスタに楽しそうな写真をあげるなんて不謹慎!」
「今、○○な人もいるのに、
なんでそんな贅沢なご飯なんて食べているんですか!」
そのご指摘があなたの歩みならば、日常ならば、
どうぞ続けてください。
しかし、
あなたのそのご指摘が誰かの次なる歩みへの阻害になっていないか、
そんな泡沫なる発言とは言え、
一瞥をくれる手間を相手に与えてしまっている時点で、
相手の歩みの邪魔をしているのではないか、
その程度の賢明さや謙虚さを持ち合わせている人ばかりではない、
ということもまた明らかになる夏。
西日射す神保町、
不意に訪れた古書店の片隅に、
少し埃を被った一冊の本を見つけた。
今から20年も前に出版された、
大槻ケンジさんのエッセイだ。
「人生はのほほんと生きれば良い」
そうだ、
人生は「のほほん」なのだ。
大好きなカレーでも食べて、
銭湯にでも行って、
冷たいミックスジュース飲んで、
脱衣所で隣り合わせたお爺さんとニコニコと話そう。
そう、
そんな日常を止めないで、
ただ、のほほんと生きよう。
そう決めた夏。
日本の夏
平成最後の夏
のほほんと生きる夏