歌舞伎と田中一村展へ行った
9番太です。
文化的なことをしてきたので感想を書いておこうと思います!
急遽歌舞伎を観覧してきました。
日時的自由が効かない身なので、一番安い幕見席は席を確保できるか確証がないので避け、3等席Aを選びました。
席も遠いし初心者なのでオペラグラスとイヤホンガイドを借りました。
オペラグラスは500円+保証料5000円で、保証料は返却時に返してもらえます。
イヤホンガイドは800円。
どちらもあってよかった。。
私が観覧した演目は「平家女護島~俊寛」と「権左と助十」
平家女護島は近松門左衛門作の歌舞伎らしい作品、
権左と助十は世話物という、水戸黄門のような時代劇風な作品でした。
詳しくは↓
自分みたいのには格式高すぎてわかんなくて途中で寝てしまうんではないかと危惧しておりましたが、どちらもとても面白く、
平家女護島のほうは2回も泣いて、権左と助十は2時間近い作品でしたが始終集中して観覧できました。
平家女護島は近松門左衛門作で
というあらすじですが、感情の交錯と抗えない時代のルールで物語が動いており、これでこれでこれがこうなってこう!というベクトルがそれぞれデカくてわかりやすく、それでいて、その一つ一つが丁寧に表現されておりました。
話の流れで舞を踊ることになった俊寛が、老いの為よろけて倒れてしまった後笑うのですが、だんだん泣き声に変わっていくところ、良かったです。
老いた自分をあわれに思う気持ちを言葉でなく演技のみで伝えるんですね。
ラストの(ネタバレだから深く言えないのですが)人間の孤独の表現の斬新さもとても印象に残りました。
俊寛が松の枝を折ってしまうのですが、そこにある植物は松でなければならない=その時代の死生観に由来しているんだそうです。
権左と助十は大正時代の作で、大岡越前の伝承・評判の類いを集めた講談『大岡政談』のエピソード『小間物屋彦兵衛』のスピンオフ作品といった感じのもので、大岡越前は登場しませんで、要するに謎解きものではなく、生き生きとした江戸の長屋の人々が見どころといった作品でした。
それぞれの登場人物が人間的に面白い。よくぞ一つの話の中でこれだけ表現できたなと思いました。(まぁ二時間だものな。。。)
男性として脂ののった権左と助十の、あらくれな行動と見た目のわりに意外と小心者な部分や、でも最後は江戸っ子として決着をつけるところが
そういう男性がものすごい好みな私としてはめちゃくちゃ刺さりました。
なんやかんや中村獅童演じる権左の入れ墨の入った上半身にグッと来ていたんですが。。助十もよかった~!
権左の奥さんや長屋の家主もいい味出しておりました。
で、次に上野の東京美術館で開催されていた田中一村展へ行きました
この、アダンと海の絵に一目ぼれして行くと決めていたんですが、いや~行ってよかったです~
ちなみにこの絵は田中一村が閻魔様への土産に、と記した終焉の大作だそうです。
見ると8歳から植物と鳥を上手に描いているんですよね。
そんな友達いた?!普通の子じゃないですよね。。。
そんな、幼いころから周りには理解されない孤独なものを一村は抱えて、それを粗末にせず、大事に育んでいたのかなぁ。。。で、植物を描いて終焉を迎えるって、いやマジで植物描きとして強すぎる。ほんとこの方の描く植物すごみがあるんですよね。
それと、この方作風が自由というか、日本画とも水墨画とも、洋画とも言えない独自の雰囲気を持っていて
また、時に子供の水彩画のようなものをぺろっとだすんですね。気張りも自由といいますか。。
でも勉強家で、軍鶏師に師事して軍鶏描きまくったり、中国の水墨画を学んだり、デッサンをすっごいしているんですよね。。
そして人生で何度も新境地に挑む。新境地に挑むというのは一種の「今までの自分の作風・個性を否定、破壊するような行為」じゃないかと思う。それを能動的に行うのってすごいなぁと思います。だってそれまでのファンが離れてしまうかもしれないじゃないですか。。
最近、自分も自分がこれが個性と思っているものを一旦ぶち壊して描き続ければ個性の先にあるものが見えてくるんではないかと思ってて。
それは、その個性が育まれた場所、もっと絵を描く衝動の根源に近いもの、
それを先ほどの「アダンと海の絵」の海の先の金色の光に見たような気がします。。。(かっこいいな
ニライカナイを彷彿とさせますよな。
とまぁかっこいいこと申しましたが
なんやかやとても充実した一日となりました。
この体験を自分の作品に生かせるか、、?いや多分何にも生かせない。
とりあえず自分もなんかかこー!とやる気は出ました!
そんな感じで唐突に締めます。
ご覧いただきありがとうございました!