
05 宙ごはん/町田そのこ

(作中の言葉)
このふたりがしあわせに過ごす時間に、オレの料理があればいいなと思う。美味しいねと笑いあうのがオレの料理なら、こんなしあわせなことはない
例えば、何かしてもらったら「ありがとう」、悪いことをしたら「ごめんなさい」。嬉しいときは笑って、哀しいときは泣く。こういうの、生まれたときから知ってるような気がするだろう? だけどそれは、小さなころからたくさんのひとが愛情をもって繰り返し教えてくれたから、身についたんだ。当たり前に体に染みついたのは、繰り返し教えてくれる存在があったからなんだ
わたし、寂しいとか、怖いとか哀しいとか、大人は感じないんだと思ってた。大人には、自分と同じような弱い感情などないと思っていた。強くてたくましくて、簡単に涙をこぼさない、そう信じていた。でも佐伯にも花野にも、弱いときはあったし、いまもなくなっていない。そんなことに、ようやく気付いた
選ばなければならない瞬間って、長い人生には何度だってあんの。練習だと思って、選びなさい。大丈夫、どっちを選んでも死にゃしないわよ
「いま、カノさんが美味しそうに食べてくれて、うれしかったから。料理するの、好きでいると思う」
花野が、自分が作ったものを「美味しい」と言って食べてくれた。たったそれだけのことなのに、胸がどきどきして、止まらない。ううん、たったそれだけ、なんかじゃない。自分が作ったもので、誰かと気持ちのいい時間を過ごせる、それはすごいことなのだ。そして多分、とても大事なことでもある
好きな場所で好きな時間を、大事なひとと過ごせることが、嬉しい
同じ夏は来ないように、ひともまた変化し、同じひとには戻らないのだ
自分を守るために自分自身を剪定しなきゃいけないときって、あんのよ。
「何もできないんじゃない。何もしなくていい時期なんだよ。花野さんは花野さんのしたいことだけしていればいいんだ」
そのひとの望むしあわせってものが、器として目に見えたらいいのにな。そしたらオレは、花野さんのしあわせの器に一番ぴったりな料理が分かる。いろに大きさ、深さ、そういうものに合わせるべきものが分かる。そして、オレの作れる料理じゃ釣り合わないことも、きっと簡単に受け入れられたんだろうな。
自分を持つって、難しいもんだなあ
思いがこもった料理は、ひとを生かしてくれる。
オレは花野さんに、誰かと手を取り合って眺める景色がどれだけ綺麗か教えてもらった。そして、同じ景色を同じ目で見られる存在がどれだけ大切かも、教えてもらった。智美となら、もう一度あの景色を眺められるかもしれない、そう思えたのは花野さんと共にいた時間があったからだ。花野さんとの時間があったからこそ、オレは智美と結婚したいと思えた
感情のままにいられるあの子が素敵だなと思った。一度色のついたキャンバスは、上からどれだけ白を塗り重ねても元の無垢には戻れないでしょう。ひとの顔色を窺う、自分を取り繕う。覚えてしまったらもう、知らずにいられたころには戻れない。あのころには、あたしのキャンバスはもう様々な色が塗られていた。いろんな大人や、自分自身の手によってごてごてに塗り固められてた。だからあの子の真っ白いキャンバスは奇跡だと思ったし、いつまでもそうあってほしいと願った
感情のままに哀しいことを言ったからって、それが本心とは限らない
ひとの気持ちを軽視したら、いつか自分が軽視される。そういうものなのだろうか
ひとはどうしても自分のフィルター越しに世界を見てしまうものだ
大人でも、自分のフィルター越しでしか世界を見ていないひとたちがいた。年を重ねてようが、どんな経験をしようが、狭いフィルター越しにしか世界を見ないひとはいる。むしろ年を重ねることで歪んでいくことだってあるだろう
ひとは変化して、成長していくの。哀しみ方だけじゃない、喜び方に愛し方、気持ちの伝え方。ずっと、試行錯誤してひとつひとつ噛みしめて生きるのよ
奈々のフィルター越しの世界にいるわたしやカノさんは、きっととても強かで明るく生きているのだろう。もしかしたら、やっちゃんは死んでいないかもしれない。ならばそのフィルターの中で、生きたい
「多分、本の中に自分の探している答えがあるかもしれないと思ってる、から」 ひとを思うとはどんなものなのか、家族を思い、関係を築くとはどういうことなのか。それらの答えがきっとどこかにあると願って、物語に潜っている
亡くなったひとの家族はね、失った辛さと寂しさを乗り越えるのに精いっぱいなんだ。罪を赦す余裕なんてないし、そもそも赦す必要なんてない。だってそうでしょ?大事なひとを不条理に奪われただけで残酷なのに、どうしてその罪まで赦してあげなくちゃいけないの
君の「ごめんなさい」は君が赦してほしくてやってることだよ。相手の気持ちをまったく考えてない。こんなに謝ってるんだから、いいでしょう?赦してくれたっていいでしょう?って相手に赦しを強制してるんだ。それは暴力でしかないんだよ
謝罪って、時には自分のためのものになってしまうんだね
大事なのはね、「絶対自分で子供を育てないといけない」と思わないこと。ひとに預けてもいいんだよ。追い詰められた自分と一緒に崖っぷちに立たせるような生活を強いるより、安全な場所で健康なひとにしっかり育ててもらえるほうがいいじゃん。「とにかく生きる」が最優先。そのあとはいろいろあるだろうけど、「笑って生きる」ができたら上等じゃないかなあとあたしは思ってる。なかなか難しいけどさ、寿命が尽きるまでに叶えりゃいいじゃん?
あたし、自分が誰かのためにこんなにも動けるんだってことに驚いてんの。いままでだったら絶対にできなかった。ああ、あたしってまだ成長できるんだなって感動もした。ねえ宙、覚えておきな。世界ってあたしの年でも、どんどん広がって変化していくんだよ、すごいね
ひとはきっと、いつでも変化の一歩を必死に踏んで生きていく。たくさんのものを抱えて、なお。そしてその一歩は自分だけの力じゃない。たくさんの大切なひととの思い出や、繋がりが奇跡のような力となって、手助けしてくれるのだ
本を読むたびに好きな本が増えていく。この本はいろんな人に読んでもらいたい。手にとってもらいたい。私の大好きな本。
ひとはどうしても自分のフィルター越しに世界を見てしまうものだ
本当にそうだなと思う。誰かに対して抱くイメージも私のフィルター越しでしかない。実際その人が何を経験して、何を思って行動してるかなんてわからないし、わからないからこそすれ違って、ぶつかることもある。だけど本当のことを知ると切なくてあったかくて。