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【祖父・山川浩、満洲より帰る】

11月の寒い日に、栃木の私の母の実家の戸をがらっと開けて入ってきた男性は、脚絆を巻いていました。

身支度が整っていて顔も引き締まっていたそうです。歳は30代ぐらい。

母のお父さんである浩じいちゃんが
満州から帰ってきたのです。

家族が家中のあちこちから
集まってきて,よかった、よかったね〜と言いました。

100まで生きたひいばあちゃんも
泣いて喜んでいました。

みんな泣いていましたが、
まだ2歳の母は,
家族が何で泣いているか
分からなかったそうです。

抱っこされた時のことを
77歳になった今でも
実はまだ覚えていて。

「よく生きて帰ってきたなあ」とお父さんが言いながら抱き上げられたそうです。お父さんはきっと感慨深く抱いていたでしょうね。

母はこの人だれだろ?と
思ったそうです。

家族の誰がが「とうちゃんだよ」と
教えてくれたそうです。

まだ、この後に生まれる母の妹や弟は産まれていません。

衛生兵だった祖父は、
日赤の看護士だった祖母とともに、
この後、沢山の子供たちを産婦人科医のように取り上げました。

また,鍬が足に刺さってしまった人や、指先にばい菌の入ってしまった人の治療もしたそうです。

母は年齢のせいか、毎日の生活でいろいろなことを忘れることがあります。

でも、人間として大切なことは、絶対に忘れず繰り返し私や孫達に伝えてくれます。

身体の弱かった私を看病して丈夫にしてくれたことを思い出して、
私は優しく不安な母の気持ちを
理解して行きたいですね!

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