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好きでは食えぬ現実

目を疑う新聞記事

3月22日(日曜日)の読売新聞の記事を見ましたか?

研究者の生活はいろいろな原因もあり、

生活できるギリギリの線の給料であることがわかりました。

現在、日本の科学技術は

賞の受賞など

輝かしいところばかりクローズアップされますが、

本当に大切なのは

その人の家族も幸せにできることなのかな?

と私自身考え直しています。

飛び級合格者の一人のその後についてのレポート

1998年1月時点の千葉大学の17歳の学生がその後どうなったか書かれています。飛び級制度合格者の3人のうちの一人に選ばれた佐藤さんは「大好きな物理の勉強に没頭できる」と意気揚々と大学の門をくぐりました。希望に満ちていたことでしょう。それから22年。佐藤さんは今、大型トレーラーの運転手になって夜明けの町を疾走しています。(読売新聞 社会部 朝来野祥子記者より)そこでどんなことががあったのでしょうか。せっかくの才能が生きていない状態なのでしょうか?私は少し残念な気持ちになりながら記事を読み進めました。

飛び級で千葉大学に入学

私立成田中学校の時に光の速さに興味を持った佐藤さんは、物理と数学に自信を持ちました。当時の指導教官だった千葉大学の山本和貫准教授は、懐かしそうに語ります。

「われわれ千葉大学には飛び入学で日本の受験制度に風穴を開けたいという気持ちがありました。従来の発想にとらわれない『とんがった学生』が欲しかったんです。」

佐藤さんはまさにそういう学生でした。飛び入学で入った3人はいわば特別待遇。専用の自習室が用意され,担当の大学院生が付いて,個別に学業や生活の相談に乗ってもらえたそうです。

なんと,夏には米国の大学で1か月の研修もありました。至れり尽くせり,これなら張り切って自分の好きな研究ができますよね!もちろん大学院にも進み、光の伝わり方を制御できるフォトニック結晶の論文を書いて修士号を得ました。フォトニック結晶とは、屈折率の異なる材料が周期的に並んだ構造体を指す言葉です。自然界では東南アジアに生息している蝶の羽にその構造があります。きれいな青いちょうちょの飾りを見たことはないでしょうか?私は千葉のおじちゃんの家でこの🦋の羽の飾りを見たことがあります。幻想的な輝きをしていますよね。

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フォトニック結晶とは屈折率が周期的に変化するナノ構造体のことです。その中の光の伝わりかたはナノ構造によって制御できるんです。基本研究とともに応用開発がさかんに進められており、商業的な応用も最近は登場しています。

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大学院卒業

大学院を出ると、宮城県にある財団法人に職を得ることができました。働きながら論文を書いて博士号を取りたい。ここまで見ていると科学者への道は前途洋々でノーベル賞・京都賞かと思われますよね。

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でも、初任給を受け取った佐藤さんは目を疑います。手取り15万円。大学院まで出てこのお給料。なんと低いことでしょう。

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中学の同級生裕子さんと結婚していたので,長女も生まれていました。二十代後半。学生時代の奨学金の返済もありました。郊外に借りたアパートの家賃も払わなければなりません。通勤のための車の維持費もここから。ごはんとおかずは1品で食費を切り詰める生活が続きました。

それでも苦しく,月に一回千葉の実家から米やレトルト食品を送ってもらう生活になっています。知人に野菜を分けてもらったり、食事をカップラーメンで済ませたり。仕事では専門知識を生かして偏向カメラを開発しています。やりがいはありましたが「家族がみんなで食べていけない現実」が大きくのしかかります。このとき佐藤さんは25歳。家族で実家に戻り、古巣の千葉大に非常勤講師のポストを分けてもらいながら予備校の講師も掛け持ちして家族を守りました。

驚きの決断

30歳を超えたとき、佐藤さんは周囲が驚く決断をしました。学生時代に車好きが高じてトレーラーの運転手をしていたことで、研究よりも現実を受け入れることを決意します。

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2013年の春。研究者としての見切りをつけ、運送会社に就職しました。大学の山本教授は「もう少し踏ん張れば道が開けたかもしれないのに」惜しくてなりませんでした。

でも一方で,今の日本では1年2年という先の見える小さな実験で結果を出さなければ研究職にはつけないのです。佐藤さんはもっと大きな『海のものとも山のものとも分からない』という世界に興味を持っていました。

アインシュタインが相対性理論を考えていたのは「特許庁」で公務員として働いていた時ということを私は思い出しました。海のものとも山のものともわからないものを研究するためには,家族で生活していくための最低限度のお給料を得ることができないと研究を続けることは難しいのです。

研究する対象があまりにも大きいと,その大きな視点ゆえに,科学者を続けることができないとは,

なんという皮肉でしょう。

トレーラー運転手に専念して8年。佐藤さんは正社員になり、4年前に千葉に一軒家を購入できました。さぞかし残念がっているのではないかと私は心配になりました。

佐藤さんの心境

いえいえ研究の道に未練はないんです。でも物理が好きで教えるのも好きだから知り合いの子供の家庭教師を引き受けているということです。もし研究の仕事があればたぶん続けていたでしょう。でも佐藤さんは朗らかに笑って今日もハンドルを持ち、明るく働いています。

サトケンの感想

記事を読んで私が感じたのは、プロ野球選手の引退の時の話に何となく似ているなということ。一見華やかでかっこいい職には、それを続けるための継続した日常生活を送るための泥臭い努力が必要です。そして、意外と見切りをつけることも必要なのかも大切なのかもしれません。

たとえば研究者と学校の先生は相性がいいのではないでしょうか。中学校の先生になったら、もっとたくさん子供たちに科学的なものの考え方を教えることができるし。

あるいは、アインシュタインのように公務員でいながら夜は研究するというスタイルもどうだろう?もったいないと思いながらも本人がさわやかなのがちょっと安心しました。
(おわり)


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