私が偽善をするわけ
人のためにいいことをしようという時、自分の心の中に、自分のしょうもなさが目立ち始めます。
私の場合「こんな自分が人助けだってええ。」と照れが出てきます。
そのテレに負けてしまうと募金もボランティアもできません。
今よりも若いとき職場の中でつらそうな人に私が声をかけられなかったのは「いい人になろうとしてる」と言われるのが、恥ずかしかったからです。
「ええかっこしい」と言われるのが嫌でした。やりたくないからやらないわけではないのです。
その時期は、落ちている紙くずを拾ってごみ箱にすてる時も、本当の自分なら拾わないのにたまたま学校の先生をやってるからたまたま先生だから、ごみを拾ってるんだと言われたらどうしようという「照れくささ」がありました。
こうやって書いてくるとどうも私は偽善者らしいです。
でも善をしない不善者よりも勝ってると思います。
私のことを「偽善者」という私は決して自分で「善なること」をしようとしません。
「あの子が若いから声をかけたんでしょう。」とケチをつけられることもありました。自分でもそう言ってしまう時もありました。ボランティア活動にケチをつけるのもボランティア活動をしていない私の時です。
信長は四十九歳で亡くなりました。
私が信長なら、もう死んでます。きっと明治時代でも私の年齢なら死んでいます。娘が2人いますが大きくなったので、もう私がミルクを飲ませた後ゲップさせなくても大丈夫です。いつ死んでも大丈夫です。
思えば私は3回も幸手病院に入院した金食い虫でした。
しし何とか生き延びました。
3年生まで虚弱体質でプールに入れませんでした。
体力がなくて受験勉強中はすぐに眠くなってしまい、限界まではできませんでした。そんなこんなでみんなに助けてもらって50歳になりました。
ここまで来たら今までのことは帳消しです。
私は生まれたときから明日生きてるかわからないといわれていましたから、よくわからないうちに水子のお地蔵さんになっていたのかもしれません。お地蔵さんの本当の名前は地蔵菩薩と言います。
釈迦の入滅後に、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現しますが、それまでの間、現世には仏が不在となってしまいます。
その間、六道の世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる のが地蔵菩薩です。
何だか支援教育の大先輩みたいな感じですよね。
地獄道(罪を償わせるための世界)
餓鬼道(満足できない世界)
畜生道(自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界)
修羅の道(闘争心から逃れられず終始戦う世界)
人道(四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界)
にいるときに悩むのはわかりますが、天道にいても迷うことはあるんだなって思います。煩悩から解き放たれることはできないんですね。
私はきっと天道にはいなかったと思いますが、ここからは地蔵菩薩のやることをしていけばいいですね!何せもう死んでますからね!(#^.^#)
お地蔵さまが6つなのは、世界の道が六道だからなんでしょうね。
お地蔵様の足元には餓鬼道への入り口があってそこを通った水は清められて飲み食いできない餓鬼たちがちょっとのどを潤すことができるといわれています。
お地蔵さまはきっと、どこに向かって歩いていけばいいのかを指さして、六道で迷っている人を導くんじゃないかなって思います。
そんな生き方。神様みたいな生き方。もう昔なら死んでる私ならできるんじゃないかな?