令和3年致知12月号「死中活あり」
人間的に素晴らしい人の学級も崩壊する。集団の子供たちを教師が一人で相手にするには、スキルが必要だ。スキルは即効性があり,学級の見た目も整う。ねらい通りに授業がうまくいくようになると、どこかでスキルを集めてもうまくいかなくなる段階がくる。
特別支援学級担任だと児童をどう導けばいいか本の通りに進めてもうまくいかないことが多い。さらに情緒の安定が難しい自閉症・情緒学級の担任になると児童の行動をコントロールできないことも多くなる。
これでうまくいくはずなのに。自分の指導力を棚に上げ,ついついそう考えがちだ。しかし、それでは解決に結びつかない。
そんな時には児童への指導について何も書いていない致知を読むといい。
戦乱の世を生きた武田信玄公は軍略や組織の統率に直接関係ない和歌や連歌についても真剣に取り組んでいたそうだ。美しい歌を詠むことが戦争に必要なのだろうか?
想像を絶する孤独と不安,プレッシャーに押しつぶされずに決断を下し,国をまとめる為には,確固たる世界観・人生観・物事を多面的・俯瞰的にみる見識,周囲を感化する人格力と人間力が求められる。五百年・千年の時間軸で考えらればその時々の条件に振り回されることはないと。
死中とは,死や破滅を待つよりほかない絶望的な境地のことだ。私は何事も起こっていない平時に死中を忘れないことが大切だとおもふ。
もしもの時の「死中」に適切な「活」を見つけることができる為には、児童保護者とうまくいっている時にも「死中」について考えておくことが「死中に活を見出すことになる」と考えている。
そして,もう一つは今まで読んだ本の中の知識やスキルに振り回されないことが「活」につながるということ。
児童の学年が上がり,今までのようにうまくいかない場合。子供の見た目の表情や行動,発する言葉に気を取られてしまって「できた・できない」に振り回されることが多くあった。自分が変わるチャンスだ。
子供の内面に着目することで、見た目にはできていないことでも、それぞれの子供によって行動の意味が違うことに気付かねばならない。
日常の何気ない児童の仕草や行動をよく見て、子供の状態を予測してみること、どんなことに児童が気付きを見せているかを普段からみていることが重要だ。
「やる気はあるが気持ちが乗らずに嫌がっている」のか、「やる気が全くなくて本当に嫌がっているのか」で対応が異なってくる。
私は本当の窮地に陥る前の日常に死地をイメージすることだ。
子供と向き合うためにはどんな反応や行動をしようとも動揺したり、目をそらさずに児童をしっかりと見つめ、すべてを受け止めること。そこに良い方向へ向かうための「活」が隠れていると信じて3月まで頑張りたい。