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できの悪い先生ばかりの学校

ある学校の話

ある街では、二つの学校が隣り合っていた。

一つの学校は、職員が多かったが、和気あいあいとしていて、争いごとひとつ起きなかった。

もう一つの学校は、少ない職員ながら、毎日口論が絶えず、みんなが面白くない日々を送っていた。

尋ねた校長先生

ある時、口論絶えない小さな学校の校長先生が大きな学校の先生に聞いた。
「先生の学校は職員が沢山いるのに喧嘩一つないそうですね。私の学校は職員数は少ないのに毎日口論が絶えず修羅場のような有様です。どうして先生の学校は、そう仲良く暮らせるのですか?」 

優秀な職員ばかりでは口論が絶えない

大きな学校の校長先生は言った。
「それは私の学校は出来の悪い職員ばかりの寄り合いだからでしょう。先生の学校は、優秀な先生ばかりの集まりだからでしょうな。」

小さな学校の校長先生は合点がいきません。
「出来の悪い職員がたくさんいれば喧嘩ばかりになるはず。出来の悪い職員ばかりだから喧嘩がないとは、どういう訳です?」

大きな学校の校長先生は答えます。

「いや、何も難しいことはありませんよ。例えばですね、ガラスが割れても、子供のトラブルがあっても、保護者のクレームがあっても、みんなが、『それは私が悪かった。いや、私が足りなかった。いや、私が軽率だった。』とお互いが悪くなるように競争します。だから、喧嘩が起こりようがないのです。

あなたの学校では、これと反対で、何か間違いがあると、みなさんが善い人になろうとして『俺は知らない、あなたが悪い』とお互いが罪のなすりつけ合いをするのでしょう。

ガラスが割れると、
『こんな所でボールを使わせるのが悪い』と善い人になろうとするに違いない。子供のトラブルがあった時も『すぐに対応しないからだ。隣にいた俺に落ち度はない』と言い、責任者の一人に責任を持たせ、対応させるに違いない。

できることは限られていると知っているから自分の悪い部分が見える

私の学校では競って悪い職員になり何とかしようとし、あなたの学校では、競って落ち度はない職員になろうとする。その結果、私の学校では争いが起こらず、あなたの学校では、争いごとが絶えないのでしょう。

こう言われて小さな学校の校長先生は、なるほどと合点し、目を覚ました。それ以来、互いに譲り合うことに努めて良い学校になったという。

とはいえ何事も行き過ぎは良くない 

気をつけたいのは、極端な自責思考は有害であることだ。鬱病や精神疾患につながる。自責思考は、他人の仕事、システム、社会環境を変化させる意識が薄くなってしまうというもろばの剣だ。
どんな考え方も100パーセント正しいということはない。
これが真実でしょうな!

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