小早川隆景公
令和2年12月25日金曜日🎄
おはようございます。今日はクリスマスですね。
朝、ネットを見ていたら、
戦国武将に関する興味のあるコラムを見つけました。
今朝はそのお話です。
私の好きな戦国武将は「竹中半兵衛」。
理由は,当時、織田信長の
「官兵衛は裏切った。一人息子を殺せ!!」
という絶対の命令を聞かずに、
自分の領地に後の黒田長政を匿い,
荒木村重の城に閉じ込められた官兵衛の命運を
救ったところにあります。
才知だけの人物では、そんな行動はとれません。
黒田官兵衛は裏切ったわけではない。
しかし、信長公の怒りももっともだ。
さてどうすればいいか?
半兵衛は自分の判断をどうすれば
どのようなことにつなげれば
みんなが幸せになるだろうか
ということを常に考えていました。
私自身は、
黒田官兵衛の
ちょっとあさはかな所も
人間らしくて好きなのですが…(#^.^#)
後にたった一人の自分の長男を守ってくれた
竹中半兵衛に、黒田官兵衛はとっても感謝しました。
30代で結核のために早世してしまった
半兵衛の子供が落ちぶれることがないように
関ヶ原の戦いの後も
官兵衛・長政は心を砕きました。
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【新年度一人調べ】「コラムより」
「小早川隆景公」
名称言行録を読み,
渡邉昇一先生が「小早川隆景公」について語っています。
現代にも通じる生き様を解説したのが、
致知出版社刊『「名将言行録」を読む』(渡部昇一・著)です。
碩学(せきがく)・渡部昇一先生によって
選び抜かれた29名の名将たちは、
危機に遭遇した時そこで何を考え、
どのように行動したのかがこの本には書かれています――。
ここでは小早川隆景の逸話を紹介しています。
碩学というのは学問が広く深いという意味です。
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「黒田官兵衛は知略鋭く、良し悪しを決することは造作もなくできる。切れる刀で竹を2つに割るようなもので、世の中で彼に及ぶ者はいない。」
「才覚武略の誉れは数多くあるが、思慮(しりょ)の誉れは聞かない。」
「自分(隆景)は孝高の才智には遥かに劣っている。」
「孝高が思慮せずに即断できることを、私は何度も何度も思案してようやく判断するからだ。」
「しかし,世の中の人は私のことをかえって智恵があるという。」
「これは、私が鈍才である分、すぐに決断せずにじっくり考えるためだろう」
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これは確かな分析で、黒田孝高は頭がよくて、すぐに判断を下すから戦場では非常に役に立つことが多いのですが、一方で後悔することも多いのです。
たとえば中国攻め。
秀吉が高松城の水攻めをしていたときに
信長死すの一報がもたらされると、
「殿、絶好の機会が巡って来ましたね」
と秀吉にいって、
かえって
「なんだこいつは?」
と警戒されるということがありました。
別の表現でも隆景の人となりは書かれています
「隆景、己を持すること慎密(しんみつ)、嬖幸(へいこう)之を忌むと雖(いえど)も中傷すること能わず」
秀吉の傍にいるぺこぺこしている家来たちは隆景を嫌ったけれど、隆景が慎重な人物であったから中傷することができなかったというわけです。
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物事の判断をするとき。
特に戦場のような現場では、火急に判断しなければならないことは多いかもしれません。
しかし、近年のような難しい時代こそ,熟慮して思案して後に後悔することのない判断を下すことが今ほど求められる時期はないですね。
個別支援学級を担任している私も
子供たちの
今だけでなく
将来・周りの大人たち・つけるべき力
などについて思慮を重ねて
より良い判断ができるように
努めていきたいと考えています。
令和二年もありがとうございました。
いささか官兵衛の様に
浅はかな記事をたくさんあげまして
申し訳ありません。