房総のむらに行った? 薬の店(佐倉堂)2016年2月27日土曜日
薬と医療の歴史
医学の知識は、5世紀頃から大陸や朝鮮半島から伝えられ、8世紀の律令制のもとでは,内薬司、典薬寮などの医療制度も日本の中で整えられました。
しかし、庶民を対象にした医療などは、ほとんど行われてはいませんでした。わずかに寺院の施薬事業などに僧医の活躍が見られた程度ですね。
平安時代から室町時代にかけて、新しく入ってきた中国医学が同化し、日本独自の漢方医学の発達が見られました。今の麒麟が来るにもお医者さんがいますね。
一方この流れに乗りきれなかった朝廷や幕府などに仕えた官医は、自らの生計を維持するためにも、一般庶民への診療に関わるようになります。今で言う町医者、開業医の登場です。
江戸時代になると、各地の社寺や医家において家伝・秘方などと称した売薬が作られるようになりました。目薬なども売られていましたね!
また、新たな中国の医薬書の導入などにより「本草学」という学問も発達し、優れた薬が各地で作られ、大きな店舗を構える生薬屋も見られるようになってきました。
各地に代々伝わってきた薬を家伝薬として売り出していくようになります。こうした売薬は武家・寺院・医家・香具師・行商人などを通してさまざまな階級の人々が入手できるようになってきました。
こうした薬は誰でも簡単に入手できるわけでなく、多くの人々が十分な医療を受けることができずにいました。一般庶民の医療は「神頼み」と言われる時代がその後も長く続いていきます。
漢方・漢方薬は日本の医学
「漢方」という言葉は、江戸時代オランダから伝えられた医学を「蘭方」と呼んだのに対して、古代以来中国から学んできたものをさらに日本で独自に発達させてきたい学問の呼称です。
中国の医学は「中医学」と呼んで区別されます。また、「漢方薬」は漢方医学で用いられる薬で、主として中国産あるいは日本産の植物、動物、鉱物などで薬用にされる生薬を配合して作られます。そして、通常1種類で用いられることはなく、数種類の生薬が配合されるところに特徴があります。
これに対して「民間薬」は、生薬を口伝えや経験に基づいて用い、特に体系づけられた理論や処方はありませんでした。たとえば、広く民間で用いられている「ゲンノショウコ」や「ドクダミ」やしょうやくではありますが、使用法は漢方の場合と全く違うので、漢方薬には含めず「民間薬」として扱われます。
家伝薬
「家伝薬」と呼ばれるものは効能ありとして口伝えや経験に基づいて代々特定の寺社や薬屋に受け継がれてきたもので、生薬の配合も行われますが、体系づけられたものでないため「民間薬」に含まれます。
千葉県房総のむらプリントより
自分でいろいろ調べるって面白い。