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#note夏休みが終わるのが嫌だなあという学校の先生の悩みに寄り添う記事【教師十牛図🐮】これを読むと今の自分はどの辺かなあって分かるかも!(^^)

【今のあなたは10段階のどのへんでしょう?】

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【教師修養十牛図】第一図  「尋牛」
学校の先生になったばかりの頃は,自分がどんな先生になれば良いか迷ってしまう事がとても多くて、どんどん分からなくなっていきます。

どんな先生が自分のお手本となる先生像なのか?

でもまねできないよ~あんな授業できない!!!!(怒)

自分ができる方法はスキルは?どんなものなのか?毎日試していきます。そんな毎日です。あああ俺ってこの職業に向いてないと思うのはそんな頃ですね!でもそれはみんなが感じることなんです。

会社に入社したばかりの新入社員が、右も左も分からないままの姿とも言えますね!


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【教師修養十牛図】第ニ図 「見跡」
こういう先生になりたいというお手本が見つからないと諦めかけた時にこそお手本となる先生の足跡を見つける事ができます。この足跡とは、お釈迦様の教えである「自らを灯明とせよ(自分を拠りどころとせよ)」を表しているとも言われています。自分で見つけないといけないんですよね!

足跡とは経典や古人の公案の類を意味しています。差し詰め,学校の先生で言えば,本に書いてあった良い方法とでも言えましょう。

足跡は🐄🐾実は信じた道の外側にも広がっているんですよね!道理で見つからない訳です!知識だけでなく,もっと広い見識が,必要ということを表しています。見えない中でも明るく一灯を灯したいものです。

新入社員も会社に慣れて,自分の仕事を続けているうちに、自分の強みや超えるべき課題らしいものが見えてきますよね!その辺りのお話です。


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【教師修養十牛図】第三図「見牛」
あるべき教師像の後ろ姿を発見できます。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態ですね!こうなればいいんだな!という自分を発見する事ができました。
禅の修行でいえば、公案が解けた瞬間、つまり悟りに至る過程における直観的な智慧が得られた瞬間を表しています。
先生の修業で言えば,本で学んだ知識が実際の学校生活の中で活かそうとすることで見識が胆識になった状態です。合言葉は【こういうことかあ!】ですね!
会社員なら先輩から言われていた事がどういう意味の事だったのか身体で理解できる状況と言えます。


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【教師修養十牛図】第四図 「得牛」
綱をつけて牛を捕らえました。逃げ出そうと暴れる牛との格闘が始まります。この場面は、心の汚れや迷いを取り除くための修行の過程を示しています。牛🐂は牛で必死ですからね!骨が折れます。この牛は真の自己とも言えます。なかなか言うことを聞いてくれません。
こういう先生になるぞ!と決めたのですが,様々な部分で不協和音が出て来るんですよね!それを一つ一つ調整していきます。
今までできなかったことが、当たり前のようにできるようになるためには、多くの迷いや悩みを自分の理解の仕方を元に対象へ働きかけ,解決しなければなりません。その修羅場を乗り越えてこそ、自己発見と自己成長につながります。決して逃げてはならないのです。

そして、この成長のチャンスを逃してはならないのです。ここから逃げてしまった人は、永遠に自分探しの旅で彷徨うことになります。

油断するとどんなに高い所へ行ってもここにもどってきます。


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【教師修養十牛図】第五図   「牧牛」
暴れる牛を綱と鞭でてなずけましたね。牛はおとなしくなり、なついているように見えます。しかし,綱をつけたままなのは,何故でしょうか?本当の自分とうまくつきあうには、まだコントロールが完璧には,できないようです。恐る恐る引いています。
自分らしい教師の在り方が見つかった様ですが,たまに,ふらふらとこういう先生になりたい〜って揺れ時,思う事ありますよね!

自分自身を飼いならす、すなわち自分のことを本当に知る、自分の知らない自分に気づくことを表します。
ついに逃げずに修羅場を乗り越えた人は自信を持ちます。しかしまだ油断大敵。しっかりと手綱を引き締め仕事に向き合う必要があります。


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【教師修養十牛図】第六図「騎牛帰家」
なんと!おとなしくなった牛に乗り、楽しげに横笛を吹きながら家路につく事ができます。真の自己と自分自身が一体となることができたのです。
真の自己は堂々と落ち着き払っていますね!
そうか!こういう先生で在ることが私らしいんだなって分かった感じですね!
仕事に真摯に向き合い続けた結果、最初は大きな壁に見えた課題すら、楽々と乗りこなしてしまえる状況ですね!


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【教師修養十牛図】第七図「忘牛存人」
とうとう家に帰り着きました。牛を小屋に入れて庭でくつろいでいます。自分の理想とする牛を見つけられたことをお月様に感謝しています。牛が消えたことで、最後に残った煩悩やエゴがなくなるという境地を表しています。先生で言うと自分がなりたい理想の先生の形が見つけられて。それをみんなに理解されたい!とか,どうしてみんなは分かってくれないの?と怒り💢が湧き上がることが無くなっていることを示しています。
これもまた、難しいことですよね。


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【教師修養十牛図】第八図「人牛倶忘」
ノートに書く円は円周一つ,中心も一つ。ところが禅では円周も中心も無い円がある。これが「円相」の世界。
この円は無限に中心があります。そしてこの円には唯一の中心はありません。つまりどんな場所も中心なのです。この中心から測られる半径の長さはどれも等しく無限です。
宇宙は円周のない円で,自分は宇宙の中心です。
どの状況でもここから教育を作りあげるよう様々な次元の学校に存在できます。

仕事とは何かに開眼し、過去の成功体験に縛られず、また自己を誇らず、物事にこだわらず、自分を見失わない境地に到達します。

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【教師修養十牛図】第九図「返本還源」
全てを乗り越えると一皮むけた存在となり、あるがままに世界を受け入れる事ができる一回り大きな存在となるのです。
松も竹も梅も厳しい🌨寒さに強いです。松は松の良さ。竹は竹の良さ。梅は梅の良さをそのまま受け取れる様になります。


【教師修養十牛図】第十図「入鄽垂手」
まちへ... 悟りを得た人は街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表しています。
町へ降りて人に接し、衆生に救いの手を差し出します。この人に交わった人は、不思議と救われた気持ちになります。
道を極めたその人は
良い上司となり、これから旅に出る新入社員を導きます。
その頃は少しメタボになっているかもしれませんね!
くすくす。


いかがでしたかこれからも修養の学びを続けていきたいと思います。

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