パワー不足

日本が衆議院選挙を終え、これからは米大統領選の投開票日も迫っている。モザンビークでも先日、大統領選挙が行われた。日本人からの注目度は低いのだろうけど。
選挙の集計結果が発表された現在は、野党側勢力の抗議運動が活発化し、治安部隊との衝突が起きるなど不安定な情勢が続いている。

いわゆる発展途上国での選挙は"荒れる”と知識としては知っていたが、現地で体感したことはなかったので、どんなもんかと思っていた。投票日は何も荒れている様子はなかったが、選挙結果の発表前(投票日と結果発表日は2週間以上期間が空く)に野党候補者の側近が2人暗殺された。発表後は野党側の呼びかけによる全国でのゼネスト、デモ活動、インターネットの一時的な遮断。
分かりやすく荒れた。

個人的には仕事は色々と影響を受けたのだが、比較的安全な場所に住んでいるということもあり、今のところ安全に生活できている。
ただストライキはちょっと不便である。

日本で生活していたときはストライキとは無縁の生活だったので、社会が動かなくなる様を体験できたのは、貴重な経験かもしれない。ゼネストの初日はお店は動いていなくて、外出している人もいなくなった。コロナ禍当初の緊急事態宣言が発令された日のような雰囲気だった。
こんなにもみんなで一斉にストライキができるものなのか、と思った。コロナ禍でも社会が動かなくなる経験はしたのだが、あのときは未知のウィルスが原因だったので、今回のストライキとは勝手が違う。
モザンビーク社会の文化というべきなのか団結力というべきなのかはわからないけど、とにかく日本とは全然違うなと思った。ストライキだけでなく、デモもそうである。

デモという言葉は、デモンストレーションのデモですが、デモクラシーのデモでもあり、これはデモス・クラトスという古代ギリシャ語がもとになっています。デモス・クラトスとは現代的に言えば民衆の力、つまりピープルズ・パワーといった意味です。民衆に力がみなぎっている状態のことです。

小熊英二『社会を変えるには』
今回の抗議運動の様子。ちょっとパワーすぎるか。

日本は先進国で安定した社会だからかもしれないが、抗議運動とはいえ、こんなにも日本が政治で盛り上がることがあるだろうか。もちろん暴力的な行為は許されるわけではないが、思いを行動に移すパワーはすごいな、と純粋に思う。
片や投票率の低さを嘆いている日本、片や選挙結果によって死傷者が出ているモザンビーク。


と、学生時代に読んだ本を引っ張り出して、むーんと考えた。


↓この本とってもおすすめです。


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