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⑭「ミャンマー現代史(中西嘉宏著)軍事クーデター読み解く」を読んで

ご無沙汰しています。

最近、秀逸な本が出版されました。京都大学の中西先生の「ミャンマー現代史」です。

いまのミャンマー情勢を理解するために、一番優れた本です。
 
そういえば、私が敬愛する白石隆先生も、インドネシアの地域研究からスタートしているので、中西先生もあと10年もすれば、国際政治学者として名を馳せると予想しています。
古巣のアジ研での評判も高く、学術成果も素晴らしいです。

中西先生の3冊の書籍

ちなみに、中西先生が所属する京大東南アジア研究所は、コーネル大学の東南アジア研究所と並んで、世界の2大巨頭です。日本企業が、東南アジアで活躍するためにも、引き続き、知の拠点になっていくことを(勝手ながら)願っています。

さて、本の概要は、10月1日の日経新聞に書評が掲載されていたので、引用します。書評の通り、沢山の質問に答えてくれる1冊です。

間違いなく、ミャンマーの今を知るためのはじめの1冊になります♪

ミャンマーで昨年2月に起きた軍事クーデターはまさかの出来事だった。その後、2300人を超す自国民を虐殺してなお弾圧の手を緩めぬ国軍の非道ぶりは、私たちの理解を超える。

2011年の民政移管後、同国は国際社会に復帰し、経済発展を享受した。それを望んだのは国軍自身だった。すべてをほごにし、市民に暴力を振るってまで、軍は何をどうしたいのか。政権の座にいたアウンサンスーチー氏はなぜ政変を防げなかったのか。武装抵抗に転じた民主化勢力に勝機はあるのか。国際社会はなぜ手をこまねくのか。この国はどこに向かうのか。

ミャンマーは1948年に英植民地から独立して以降、7割の期間が軍事政権下にあった。スーチー氏を政治の表舞台に登場させた88年の大規模な民主化運動を起点に、約35年間の同国現代史を丁寧に解きほぐし、いくつもの疑問に答えている

経済開発にばかり関心を向けて援助と投資にひた走ってきた日本にも、著者は厳しい目を向ける。米欧の制裁に同調せず、「独自のパイプ」を生かして国軍に譲歩を迫るとする関与外交は、なんら成果が挙がっていない。情勢が悪化すると途端に日和見を決め込むのではなく、日本のアジア外交の構想力と覚悟を示す試金石こそが対ミャンマー政策である、という指摘は重い。(岩波新書・946円)

ミャンマー史のこれまでと今後の見通し

こちらの本によれば、ミャンマー史のこれまでと今後の見通しは以下です。

●1988年から2011年まで23年間トップの座に君臨したタンシュエから、2011年3月に“Power Sharing”がなされた。

●ここで、国軍のトップは、55歳のミン・アウン・フライン国軍最高司令官(「ミ」司令官)、行政のトップはテイン・セイン大統領になります。

●その後、2016年3月にアウンサン・スーチが大統領の地位を上回る大統領顧問として君臨しますが、2021年2月のクーデターをもって、「ミ」司令官が暫定政府首相になります。

●ここから、一番可能性の高いストーリーは、2023年8月までに実施される選挙で、67歳で「ミ」大統領になるというものです。大統領の任期は、5年間ですので、2028年8月までの期間になります。

ミャンマーの過去とこれからの見通し

これを大前提とすると、終章の「忘れられた紛争国になるのか」の箇所に散りばめられた鋭い指摘の数々が参考になるため、引用します。

援助の見直しと過去の検証

 ミャンマーに対する日本の援助は見直しが必要だ。軍が中心となる政権に、クーデター前のような目的と規模で援助を続けることは、日本国民に対しても、ミャンマー国民に対しても、説明ができない。
 援助の前提条件も大きく変わった。民主化と経済発展の好循環はしばらく起きない。経済的潜在力を発揮するための手段政(治の安定、法制度の安定、インフラ投資の拡大など)が欠けた状態だ。6%を超える経済成長を見越した支援と、欧米に制裁を課された不安定な低成長国への支援は、当然違うはずだ。
 既存の支援事業は、その効果という点で政策的な合理性に疑間符がつく。軍への支援が文民統制と民主主義を理解することに役立つという、防衛協力の根拠も揺らいでいる。同じ説明で同じ支援を続けることは無責任だろう。
 援助の見直しとともに必要なのは、過去の検証だ。
 2011年以降のミャンマーに対する援助の拡大は、「アジア最後のフロンティア」という経済的潜在力に加えて、アジアでの中国の台頭にくさびを打つためのものだった。日本政府の役割は大きく、この国の経済発展の条件を整え、政府能力を強化することに重点を置くことで、その強みはかなり活かしたようにみえる。
だが、政府も企業も、ミャンマーの実態に目をつぶってはいなかっただろうか。もっといえば、ミャンマーのような困難な国と付き合う覚悟が欠けていたのではないだろうか。
 クーデターの予測は難しかったとしても、政治の不安定化は明らかだった。ミンアウンフラインの大統領就任への野心も公然の秘密で、クーデターが起きずとも、第2次スーチー政権は軍との関係に悩まされていただろう。人権問題は2017年のロヒンギャ危機時にすでに発生して、国際機関や人権団体から非難の声が上がっていた。それでも日本の政府が援助を拡大し、企業がビジネスを続けたのは、この国と付き合う覚悟というよりも、経済開発以外への関心が薄かったからではないのか。
 これは今後の対ミャンマー政策に限られた問題ではない。東(南)アジアには非民主的な国が数多くあり、民主的とされる国々も人権問題や社会紛争を多く抱えている。日本の国力が低下するなか、成長を続けるアジア諸国の存在感が増していて、日本はますますアジアのなかの1つの国になっていく。欧米に比べると、規範も体制もずっと多様性のある近隣諸国とどう付き合っていくのか。硬直的でもなく、無方針の現状追認でもない関係を築くために、対ミャンマー政策を事例に日本外交に欠けていたものを探る必要があるだろう。

しかし、このような状況下でも、できることが人材関係であると示唆しています。

人道支援は日本でもできる

 日本でできるミャンマー支援もある。難民、労働者、留学生などの受け入れだ。 
 もともとミャンマー人の日本での難民申請数は多く、国籍別難民認定申請者数では常にトップテンに入ってきた。なかには、就労の機会を求めて来日し、在留資格満了が近くなって少しでも滞在期間を延ばそうと難民申請をする者もいる。だがそれは、外国人労働者に依存しなければ成り立たない経済でありながら、その受け入れ体制の整備が遅れてきた副産物でもある。難民申請者の悪意や、難民制度自体の不備ばかりに原因を求めてはならないだろう。グローバル化への日本の対応が間われているのだ。
 最近では、難民制度も外国人労働者受け入れ制度国(際協力を表向きの目的とする技能実習制度も含むも)、改革が少しずつ進んでいる。ミャンマーの政変後に法務省は、不透明な現地情勢に配慮して、在留ミャンマー人への緊急避難措置を決定した。在留資格を満了した者に継続的な在留を認めるものだ。迅速な判断は適切だったと思う。今後、ミャンマー支援を経済開発中心から人道支援へと転換するべく、難民はもとより、労働者、実習生、留学生などの日本への受け入れを、積極的に進めることが望ましい。

ミャンマーの現状が気になる方のあらゆる疑問に答えてくれるお勧めの1冊です。是非とも、読んでみて下さい。

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