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㉛地球の歩き方アメリカ編、ピッツバーグ、デトロイト旅行記Part2

2017年8月の記事です。

前回に引き続き、8月17~22日に訪れたピッツバーグとデトロイトで印象的だった観光地のみをピックアップします。

NYからピッツバーグを訪れました

まず、そもそもピッツバーグに行った目的は、地球の歩き方の「10日間で達成!弾丸!アメリカ横断旅!約$350」のNY→ピッツバーグという最初の都市ということもありますが、「カーネギーメロン」に行きたかったためです。

同じ勤め先で尊敬する先輩が留学中のカーネギーメロン大学ですが、「メロン」という響きが何ともいえないほど美味しそうな響きなので、ずっと気になっていました。

もちろん、Carnegie Mellon Universityですので、果物のMelonとは何も関係ないのですが、やはり名前の響きは重要です。Fletcher schoolというのも、フレッチャーというのが何ともかっこいいため、留学前の職場のUC San Diegoに留学していた上司から「お前は本当にいいな、フレッチャーってまずは名前がかっこいいよな」と羨ましがられました。そんなわけで、名前の響きは重要であります。(笑)

少し脇道にそれますが、カーネギーメロンというのは、鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーさんが1912年に作ったカーネギー工科大学が、その後1965年にメロン工業研究所と合併をして、カーネギーメロンとなったために美味しそうな名前になったわけです。

ピッツバーグという街を作った人がアンドリュー・カーネギーさんですので、まずはその人となりを紹介します。

アンドリュー・カーネギーとはだれか?



新しいヒーロー像 カーネギー 

 南北戦争を境に、ヒーローのイメージが一変した。それまでは、丸太小屋に生まれた勤勉な努力家が、ついには大統領まで上りつめるというのがアメリカン・ドリームの究極の姿であり、リンカンをはじめ、これに近いような実例が少なくなかった。

 ところが戦後は、貧しい移民の勤勉な努力家が、成功してついに大事業家になるというのが、新しい時代のヒーローとなったのだ。そしてその夢をまるで絵に描いたように実現させたのが、このアンドリュー・カーネギーである。

 彼は1848年に両親に連れられてスコットランドから移住してきたときわずか13歳、その後織物工場で働いたり、電報配達の仕事をしたりしてからペンシルヴァニア鉄道に職を得、しだいに上司に認められて昇進し、南北戦争中には鉄鋼業こそ将来産業の中心になると判断して積極的に投資し、後日産業界に雄飛するための資金を蓄積した。

 戦後はピッツバーグに新しい技術を導入した製鉄工場を完成させ、同業者を次つぎに吸収合併して鉄鋼王としての道を歩んだ。貧しい移民の子が一代で独占資本化になったのは、後から続く移民たちにとって気持を高揚させてくれる成功物語ではあったが、独占化への道のりで、当時の風潮であったとはいえ、弱肉強食のあくどい方法をかなり使っている。

 ただ彼が他の資本家と異なる点は、1901年に会社を売り払って引退し、その巨大な財産の社会還元につとめたことであろう。彼もまた当時の潮流であった社会進化論を信じてはいたが、1889年に発表した『富の福音』の中で、富を獲得した者は社会に役立てるようにその富を使わなければいけないと説いてカーネギー財団を設立し、約300の図書館を全米各地に寄付するなど、他の資本家たちにも大きな影響を与えたのである。

(物語 アメリカの歴史 猿谷要 P115-116)

ポイントは、カーネギーが一代で、鉄鋼で富を起こした移民ですが、同時にフィランソロピストであったという点です。そのフィランソロピーの精神はどこかピッツバーグに残っているようで、親切な人が多いこぢんまりとした街という印象を受けました。

ピッツバーグの製鉄所

ピッツバーグのハイライトは製鉄所見学です。

Rivers of Steel National Heritage Areaのツアーが5~10月までは土日に開催されていて、6~8月の間は追加で金曜にも開催されています。

私は8月19日(土)の10時から参加しましたが、たっぷりと2時間、ガイドのTomさんが丁寧な説明をして下さり、17ドルで満足のいく内容でした。

面白いと感じた点は以下です。

●当時、製鉄所が出来た頃はハンガリー系移民が多かった。
●高校卒業後に鉄鋼工場に就職するのが普通で、高卒にしてはいい給料と十分な休暇が与えられた。
●製鉄所は市からの助成金で見学施設として改修がなされ、歴史的建築物として保存される予定。
カーネギーが作ったUSスチール社は全米最大の鉄鋼会社で、オハイオ川の水運を利用して半製品を輸送して、支流で最終製品に加工された。

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

最後に、ふと感じたことは、トランプ大統領が勝利してから爆発的に売れて、日本語訳も出版された『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』という作品がありますが、ピッツバーグもアパラチア山脈の近くという点では、製造業の衰退、人口減少、移民増加という悩みを抱えるラストベルトの雰囲気と似ていました。

ピッツバーグはカーネギーの遺産があり、ピッツバーグ大学もカーネギーメロン大学もあるために金融業やサービス業が辛うじて生き残っていますが、ピッツバーグの周辺に行けば完全にラストベルトなのです。ペンシルベニア州はその結果として、ドナルド・トランプを勝利させています。

NYからピッツバーグに向かうバスは急な雨にも関わらず、係員が外で人を待たせます。係員の機転に利かなさがアメリカらしいです
おかげで乗客はびちょびちょに濡れた状況でバスに乗り込みます
心無しか少し寂れている雰囲気のダウンタウンエリア
遠方より見た旧USスチール鉄鋼場
高炉を近くでみるとこんな感じです。本当に古い。1879年に作られました
ツアーのスタート時点の鉄鋼製品保管用の倉庫の中
こんな和気藹々としたツアーです
高炉に吹き込むための熱風を作るボイラー
後ろから見た高炉
ロバの形をしたアート作品
正面から見た高炉、この手前の道から解けた高熱のどろどろの銑鉄が流れます
液体状の銑鉄は、このトーピドーカーに中に入れられて運ばれます。トーピドーとは魚雷という意味で、その形に似ていることからトーピドーカーと呼ばれます
高炉はレンガで出来ていて、高炉に入れられるのは鉄鉱石、コークス、石灰石の3つです
見学施設にするために、アートの振興もおこなっています

ピッツバーグにて古き良きアメリカと、新しく悩むアメリカを感じました。

See you next.

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