54.魅惑の都市ラスベガス(アメリカ南西部ツアーPart2 ネバダ州)
前回の続きです。
ラスベガスと聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
2017年10月1日のラスベガス・ストリップ銃乱射事件が記憶に新しいかもしれません。58人が死亡、546人が負傷した、アメリカでの単独犯による銃乱射事件として史上最悪の事件でした。
しかし、この事件を除けば、ラスベガスと聞いて、真っ先に「カジノ」を思い浮かべるでしょう。ラスベガスは砂漠の上にできた不思議なEntertainment Capitalです。
ウーバーの運転手に「1年でどの時期が繁忙期か?」と聞いてみると、「1年中繁忙期だ」という返答があるくらい1年中観光客を引き寄せる人工都市なのです。
日本でもカジノのメッカであるラスベガスを模したカジノ法案が成立しました。外国人観光客を集客して日本経済を活性化させるという目的のようです。カジノのオープンは2020年以降ということらしいですが、
そもそも本家本元のラスベガスは、なぜカジノ都市になったのでしょうか?
シンプルな回答としては貧しかったためです。
ネバダ州の人口は、現在300万人(全米33位)ですが、遡ること1930年代には何の産業もなく、人が集まらない場所でした。
そのネバダ州の歴史を変えたのが、1929年の世界恐慌です。
唯一の産業であった農業が低迷すると、大規模な公共事業としてのフーバーダムが1931年に工事開始されました(1936年に完成)。
また、同じく1931年にカジノが合法化されました。フーバーダムの年間発電量は40億kwで、年間発電量日本一の静岡県の佐久間発電所13.7億kwの3倍になります。
当時のネバダ州の人口は10万人程であったため(1930年9.2万人、40年11.3万人)州内で電力をあまり使用しません。
そこで、軍事基地や核実験場を誘致しました。
軍事基地で有名なのが、空軍が管理している“Area 51”です。
ここでは、1955年のアメリカ空軍による土地取得後から、機密の航空機のテストを古くから行っていたとされ、近年では、特にステルス機の試験飛行を行っていると考えられています。
核実験場は、1951年に初めて開設されて、ソビエトの脅威と呼応するように51年~92年にかけて928回の核実験が行われました。1951年以降のアメリカの核実験は、ほとんどネバダの核実験場でおこなわれているのだから驚きです。個人的には、残存放射能や土壌汚染が気になります。
ネバダ州はカジノの他に売春も合法ですが、これらは全て貧しさが主因です。ネバダ州の人口は長らく全米最小かつ現象していたことから、隣のカリフォルニアで不法であることを全て合法にするという戦略を採用しました。
これが、売春法(全米唯一の売春合法州)、離婚法(離婚手続きが簡素)、税法(法人税、個人所得税0%)に繋がっています。また、銃規制が緩く、ネバダ州の法律では、銃を所有するのに許可は必要なく、届け出も義務付けられていません。更に、攻撃用武器や50口径ライフル、大容量の弾倉を譲渡したり所有したりすることも禁止されていないようです。ラスベガス・ストリップ銃乱射事件は起こるべくして起きていることがわかります。
ネバダ州を敢えて日本で例えるならば、福井県のような存在です。京都や大阪が近接していますが、貧しさゆえに、原子力発電や研究用施設「もんじゅ」を誘致して地域の活性化を図っています。
ここで、ネバダ州の変遷をざっくりとまとめておきます。
1929年世界恐慌→1931年フーバーダム建設開始、賭博合法化→1940年代軍事基地、核実験場誘致開始→1951年核実験開始、1955年空軍によるArea51土地取得
前提知識はこのぐらいにして、まずはカジノの紹介です。ブラックジャックやルーレットやスロット等いろいろなマシーンがありますが、一番簡単なのは、ルーレットです。単純に赤か黒どちらかに賭けることもできるようにルールが単純なため、運がある時にプレイすれば儲かるからです。現金が必要になるために、事前に用意して下さい。もちろんATMもありますが、手数料がかかる可能性があるので、持参するのが確実です。
私はキャッシュをあまり持っていなかったため、25ドルを原資として、60ドル程儲けたところでプレイを辞めました。Gordon Ramsay Steakというステーキ屋さんで136ドルも使ったばかりだったので、少しだけ元を取り返しました。1回のプレイ時間は20分を超えないようにすべきだと友人の韓国人に教えてもらいました。
彼は切り上げるところでうまく切り上げて100ドル以上儲けていましたが、1度ルーレットをやったきり2度とやりませんでした。ギャンブルにも人柄が出るものです。ルーレットは本日の過去の確率が全て表示されているため、確率論に従えば負ける可能性が低くなると感じました。
翌朝(3月18日)は、PublicUsという宿泊先のHostel Cat近くのカフェで朝ごはんを食べました。
このカフェは地元の人が多く集まるカフェで雰囲気がよく、ラスベガスにいることを忘れるぐらい静かで癒しの空間でした。おススメです。
ラスベガス市内の唯一の博物館Atomic Testing Museumを訪れたので、資料を掲載します。
文系人間の私にとっては核実験の技術的な側面を理解するのは困難でしたが、ネバダ州の核実験場という位置づけがわかり勉強になりました。
See you soon.