57.~前編~空軍士官学校コロラドスプリングスでの学び(アメリカ南西部ツアーPart5 コロラド州)
前回の続きです。
日本の国立大学と言えば基本的に各都道府県に1つずつありますが、そのなかでも有名なものが7旧帝大になります。
設立順に、東京(1886)、京都(1897)、東北(1907)、九州(1911)、北海道(1918)、大阪(1931)、名古屋(1939)と全て1941年からはじまる太平洋戦争前の設立です。
アメリカの国立大学
一方で、アメリカには国立大学は9つしかなく、なかでも有名なのが3つの軍事学校(Service academies)になります。陸軍士官学校(West Point)、海軍士官学校(Annapolis)、そして空軍士官学校(Colorado Springs)です。
それでは問題です。
この3大学の創設時期と順番はどうなるでしょうか?
答えは、陸軍士官学校(1802)、海軍士官学校(1845)、空軍士官学校(1954)です。
日本の防衛大学校は戦後の1952年に創設されたので、空軍士官学校の創設はそれよりも後になります。実は、そもそもアメリカ空軍の設立が大戦後の1947年なのです。
それでは、アメリカの空軍及び空軍士官学校の創設はなぜこんなにも遅かったのでしょうか?
これは、B29による六大都市空襲(東京大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲、神戸大空襲、京都空襲、横浜大空襲)と関係しています。
今回、コロラドスプリングス空軍士官学校訪問が実現したのは、昨年フレッチャースクールを卒業された航空自衛隊の幹部の方と現在コロラドスプリングスに在籍されて教鞭をとられている航空自衛隊の方のおかげでした。
事前の予習教材として、NHKスペシャルの『なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”~』というビデオを教えていただきました。
これを見ると空軍士官学校のみならず、空襲により多くの一般市民が犠牲になった背景がわかります。
国際関係学では、国家や政府の行動現地では事象を説明できない場合に、組織ごとのStake Holder分析をします。
私は、太平洋戦争時のアメリカ陸軍、海軍、陸軍航空隊(US Army Air Forces; USAAF)の行動原理を知らなかったので、勉強になりました。
それでは、アメリカの空軍及び空軍士官学校の創設はなぜこんなにも遅かったのでしょうか?
追って、説明したいと思います。
コロラド州の知識
さて、コロラドスプリングス空軍士官学校の紹介の前に、まずはコロラド州の紹介をしたいと思います。
コロラド州は、スペイン人探検家が名付けたコロラド川に因んでおり、「コロラド(colored)」という言葉は「赤みをおびた」を意味するスペイン語で、コロラド川が山岳部から運ぶ赤い沈泥を表しています。
モニュメントバレーから東に5時間ほど向かう途中、標高の高いロッキー山脈を東西に突き抜けて行けていくことに気づきました。
モニュメントバレーから8時間の非常に遠い距離、途中にPagoda Springという温泉が湧くリゾート地がありました。ラオス・ミャンマー好きの私にとっては魅力的な名前で、直訳すると「仏塔温泉」です(笑)
コロラド州の中心はロッキー山脈の東に位置しています。
デンバーとボストンの標高
州都のデンバーは"Mile-High City"と呼ばれ高度1mile=1600mの高さに位置していますし、コロラドスプリングスも同様に1800mの高さなので、かなり標高の高いロッキー山脈の麓に都市があります。
ちなみに、ボストンの標高はどのぐらいでしょうか?一度ボストンにきた方ならわかると思います。
平均はほとんど0mに近い、43mになります。
ちなみにフレッチャーは41mでハーバードは2mです。平坦な土地で学生生活を過ごしてきた私にとって、コロラド州は滞在するだけで高地トレーニングになります。
これまで、Four Cornersの北東の一角として人口560万人のコロラド州をみてきました。
そこで、今度はコロラド州を中心に見ると、6州と接していることがわかります。
アメリカで一番人口が少ないワイオミング州(58万人)はコロラド州の北にあります。1位はカリフォルニア州の4000万人、2位はテキサス州の2800万人、3位はニューヨーク州の2000万人なので、人口がいかに少ないかわかります。
ちなみにデンバー国際空港はアトランタ、シカゴ、ロサンゼルス、ダラス、ニューヨーク(JFK)に次ぐ6位の旅客量を誇る空港ですので、アクセスは良いです。
コロラドスプリングスの基礎知識
Quizです。コロラドスプリングスの姉妹都市が日本にあります。どこだかわかるでしょうか?
答えは、山梨県の富士吉田市です。
気候と風土が似ているから姉妹都市になったようです。
標高4302mのパイクスピークは自動車と列車でその山頂まで登ることができる場所で、北アメリカ内で最も人々が訪れる山のようです。
年間約250日も太陽に恵まれ、空気は乾燥していて、夏は過ごしやすく、冬季には降雪もみられますが、凍結することはまれで、1年を通して非常に過ごしやすいところです。これは、富士山の麓にある富士吉田と似ています。
また、市郊外には、北アメリカ防空司令部(NORADO)、ピーターソン空軍基地、アメリカ空軍士官学校などの軍事施設があり、市を支える産業の一つとなっています。加えて最近では、IT技術を支えるハイテク産業と宇宙技術産業の拠点としても注目を浴び、多くの技術者たちが移り住んできているようです。
コロラドスプリングス空軍士官学校の基礎知識
私の最初の疑問は、
陸軍士官学校はNYの近くのWest Point、海軍士官学校はDCの近くのAnapolisにあるのか、なぜ空軍士官学校はコロラドスプリングスにあるのか?でした。
1949年に当時のウィリアム・サイミントン空軍長官が、1949年に空軍士官学校の候補地選考会を設立しました。その後、1954年4月1日に当時のアイゼンハワー大統領が空軍士官学校の設立を認定、候補地選考会は候補地を45州の580か所を検討し、3候補に絞りました。
これがイリノイ州のAlton、ウィスコンシン州のLake Geneva、そしてコロラド州のコロラドスプリングスでした。この候補地で気づくと思いますが、最も重要な条件は広大な敷地が安価に確保できることでした。
その後、1954年の夏、ハロルド・タルボット空軍長官が、コロラド州コロラドスプリングスを選定しました。空軍がその土地を購入する際、コロラド州は100万ドルの寄付をするという州の後押しもありました。
それでは、コロラドスプリングス空軍士官学校見学記は次回になります。
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