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59.ラティーノ文化サンタフェとアルバカーキ国立原子力博物館(アメリカ南西部核ツアーPart7 ニューメキシコ州)

前回の続きです。

スタディツアーもついに5日目の3月22日は、コロラドスプリングスからサンタフェとアルバカーキに行きました。

サンタフェと言えば、日本人にとっては1991年に発売され、155万部のベストセラーとなり、社会現象を巻き起こした宮沢りえの写真集『Santa Fe』を真っ先に思い浮かべる人もいるかと思います。

サンタフェはニューメキシコ州の州都にもかかわらず、ダウンタウンはこじんまりしていて、アメリカの町らしくない印象を受けました。

それもそのはず、もともとはインディアンそしてスペイン人の街だったため、ダウンタウンの建物のほとんどがプエブロインディアン様式か、植民地時代のスペイン風建築に統一されています。

高い建物もなく、標高が高いため空気も澄み、空の青さが平地よりも際立ち、赤茶色の建物群が一層美しく引き立っています。

短い間の滞在でしたが、それでも、Plaza(広場)→Palace of the Govenor(旧総督邸、1610年建立のアメリカで最も古い公共建築)→Loretto Chapel(ロレッタ・チャペル)→San Miguel Church(1626年創設の全米最古の教会)→The Old House(12世紀に造られたアメリカ最古の家)を駆け足でみて回りました。

Plaza(広場)
Palace of the Govenor(旧総督邸)とその前の光景
街の光景
Loretto Chapel(ロレッタ・チャペル)
アメリカ最古!のSan Miguel Church
アメリカ最古のOld House、昔の写真がありました

観光ガイド的には、『アメリカ最古で最も美しい街』というのが売り文句のようです。

正直な話、観光客向けの町で、フレッチャースクールでのアカデミックな学びに繋がるものはありませんでした。

打って変わって、アルバカーキには、アメリカにきて第一級の学びになるものがありました。

それは、”National Museum of Nuclear(国立原子力博物館)”です。

ここは、原子力の第二次世界大戦中から冷戦の核開発や原子力の科学を伝える内容とし、館内では日本の広島や長崎に投下された原子爆弾とファットマンとリトルボーイの模型が展示されています。

屋外には実物の核ミサイルや核攻撃作戦に使われたB-29・B-52・ICBM・ジュピターなどが展示されていました(写真順)。

キューバ危機の際、キューバの核ミサイル撤去と交換条件にアメリカが
トルコから全て撤去したジュピター


ちなみに、核の研究を行うサンディア国立研究所と核攻撃を担うカートランド空軍基地に隣接しています。

ここで何よりも第一級の学びとなったのは、ファットマンとリトルボーイの模型の記述でした。一般的なアメリカ人の原爆に対する意見は、「原爆は日本の戦争終結をはやめることに多大な貢献をした」というものです。

実際のところは、「原爆は、ソ連の対日参戦を抑止するために投下された」というのが、アカデミアの常識です(実際に、フレッチャーの授業でも「ソ連の対日参戦抑止が主因」と習います)。

広島に落とされたLittle Boyの死者は、7~13万人と記載があります。
英語のWikiでは6万6000人、日本語のWikiでは11万8661人となっています
長崎に落とされたFat Manの死者は、4万5000人と記載があります。
英語のWikiでは3万5000-4万人、日本語のWikiでは7万3900人となっています

ワシントンDCのスミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイの展示では、日本人犠牲者の説明が一切ありません。実際の展示のパネル記述を以下の写真より引用します。

"On August 6,1945, this Martin-built B29-45-MO dropped the first atomic weapon used in combat on Hiroshima, Japan. Three days later, Bockscar dropped a second atomic bomb on Nagasaki, Japan. Enola Gay flew as the advance weather reconnaissance aircraft that day. The Great Artiste, flew as an obsercvation aircraft on both missions."

エノラ・ゲイの展示@DCのスミソニアン航空宇宙博物館、2017年11月10日撮影

この理由は、DCは首都であり、更に退役軍人が沢山住んでいるため、原爆が終戦を早め多くの米兵を救ったとする根強い正当化論に配慮しているためです。過去(1995年)、エノラ・ゲイを含めた原爆展を企画した際に、退役軍人らの反対で頓挫して、館長が辞任に追い込まれた話を聞いた方もいると思います。

しかし、ここアルバカーキは、もはやアメリカなのか?という名前の「ニューメキシコ州」の都市であり、観光客もほとんど来るようなところでないため、しっかりと原爆の犠牲者に関する説明があったのが印象的でした。

原爆研究者の方は、おそらくみな訪れているのだと思いますが、私のような門外漢にとってはなかなか見ることのできない貴重な資料です。
なお、死者の数が、英語版Wiki<博物館の展示<日本語版Wikiという数になっているのがポイントです。

さて、そもそもなんでニューメキシコ州のアルバカーキに国立原子力博物館があるのでしょうか?

第二次世界大戦の間、ロスアラモスで最初の原子爆弾が設計・製造され、ホワイトサンズ砂漠のなかのトリニティ実験場(Trinity Site)で最初の核実験が行われたためです(ロスアラモスはサンタフェの北西、トリニティはアルバカーキの南)。

ロスアラモスの場所とプロジェクトの様子
Trinity Testの場所とプロジェクトの様子

現在も核実験は、ニューメキシコ州でおこなわれています。

魅惑の都市ラスベガス(アメリカ南西部ツアー②ネバダ州)』では、“Atomic Testing Museum(核実験博物館)”の展示を紹介しました。核実験がネバダ州やニューメキシコ州でおこなわれているのは、広大な空き地が存在するという理由からです(ネバダ州は、フーバーダムの電力が利用できたことも大きな要因です)。核実験の歴史を簡単に整理すると以下になります。

1.ニューメキシコ州:1945年7月16日人類史上初の核実験(トリニティ実験)

2.マーシャル諸島(ビキニ環礁、エニウェトク環礁):1946年7月1日~1958年7月で原爆、水爆合わせて67回、日本で有名な第五福竜丸事件は、1954年3月1日の水爆実験による。

3.ネバダ州:1951年~1992年の間、30エリアで928回。1997年7月2日に地下実験場で初の臨界前核実験が実施。

4.ニューメキシコ州: 2010年11月18日~2014年11月 で合計12回。Zマシン(サンディア国立研究所)と呼ばれる核融合実験/X線発生装置を使い、核爆発を伴わない「新型核実験」に成功。

DCで販売していたら問題になりそうなおもいやげ、Little Boy、Fat Manキーチェーン

ニューメキシコ州は、観光と安全保障(核やミサイル)が常に隣り合わせです。バイリンガールちかさんが全米横断で一番おすすめしていたホワイトサンズは、ホワイトサンズ・ミサイル実験場の南端にあります。

カールズバッド洞窟群国立公園の近くには、米国で最も古い放射性廃棄物貯蔵施設(地下655メートルの古代岩塩層に設置された処分室に貯蔵)があり、過去に放射能漏れを起こしたりしています(記事はコチラ)。

アリゾナ州のナバホ族居留地で採掘したウランを使用して、ニューメキシコ州で核を作って、ネバダ州やニューメキシコ州で核実験をして、両州で使用済み核燃料を貯蔵しているというのが、アメリカの核政策の裏舞台です。今回の旅行で、この一連の経路を追うことができて大満足です。学び多き、核ツアーです。

See you soon.

以上、博物館の館内展示物
以上、アルバカーキのダウンタウンの様子、ほとんど街の作りが、サンタフェと同じでした

See you soon.


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