㊷ラオス旅/中国の影響力分析Part2 ゴールデン・トライアングル
前回の続きです。
2018年1月10日にGolden Trigangle SEZを目指して、ルアンナムター(Luang Namtha)からファイサーイ(Huai Xay)に向かいました。両都市は175㎞の距離があります。
ここで問題です。
朝8時発のバスは何時にファイサーイに到着したでしょうか???
日本の感覚でいえば、バスの時速を60kmと仮定して3時間後なので11時に到着と答えるでしょう。
しかし、ここはラオス北部、都市間移動は必ず高い山越えをしなければいけないため、Google Map上も4時間(3時間56分)と表示されます。
ラオス国内の長時間移動
正解は13時40分になります。10分のトイレ休憩をはさんだので、移動だけで5時間30分を費やしたことになります。乗客で満員になり古いバスなので、山の登りで出ている時速が30kmぐらいだった実感はありますが、全行程を通じて平均時速が30kmだったようです。
ファイサーイのバス停からトゥクトゥクでステイ先のホテルまで30分でホテル到着時間は14時過ぎでした。
ここから、休憩を取る間もなくお昼を食べる間もなく、お昼はタイ料理やのテイクアウトを頼んで、タクシーと価格交渉を終えて25万キープでGolden Triangle SEZまで行くことにしました。ステイ先から62kmの距離で1時間30分かかります。
私は、正直5時間半もバスに揺られていたためにゆっくりと昼食を取りたい気持ちがありましたが、「この後のスケジュールを考えると、いまSEZに向かうしかありません」という同行するラオスプロの言葉に説得されて、14時30分にはタクシーに乗り込みました。
Golden Triangle SEZに行くのがどれほど困難か以下のスケジュールを見ればわかります。1月10日は9時間移動で費やしました。
Golden Triangle行きのスケジュール
8時:ルアンナムター出発→13時30分:ファイサーイバス停到着
13時40分:ファイサーイバス停出発→14時10分:ステイ先到着
14時30分:ステイ先出発→16時Golden Triangle SEZ到着
17時Golden Triangle SEZ出発→18時30分ステイ先帰還
しかし、結果的に、ラオスプロの言葉に従ってよかったと思うほどの収穫がありました。
Golden Triangle SEZにはボーテンとは違う意味で異様な光景が広がっていました。
現地の様子をお伝えする前に、まずはこのGolden Triangleという地域とGolden Triangle SEZ(略してGT SEZ)の概要です。
Golden Triangleの概要説明
ゴールデントライアングルというのは、もともとミャンマー、タイ、ラオスの国境で、麻薬の原料となるケシの栽培地でした。ミャンマーのシャン族の麻薬王のクン・サが日本人に有名なのは、探検家でノンフィクション作家の高野秀行さんのような方が潜入取材をしているからです(代表作はその名の通り「アヘン王国潜入記」です。
現在は、ミャンマーでもタイでも取り締まりが厳しくなったため、アヘン栽培は無くなったと言われています(ミャンマーサイドの実態は謎に包まれています)。
現在は、コーヒー、サトウキビ、とうもろこし、バナナへ代替が進んでいるようです。リゾートマニアのなかでは有名なようですが、タイ側にはFour Seasonsが2泊で3000ドルするFour Seasons Tented Camp Golden Triangleを経営しています。額が高すぎて私には一生縁がありませんが、象に乗ったりカヌーを楽しんだりAll inclusiveですのでリゾートマダムや新婚旅行には魅力的だと言えます。ミャンマー・ラオスのケシ栽培が有名ですが、ラオスに関してはあまり情報がないのが前々から怪しいと思っていました。
Golden Triangle SEZの概要説明(Wikipediaより)
ラオス北部ボケオ県トンプン群に位置する経済特区。
ディベロッパーは香港・マカオのKings Romans Groupで、ラオス政府が20%、Kings Romans Groupが80%のシェアでディベロッパーとしてのドークギゥカム社(Dok Ngiew Kham Co.,Ltd)を設立。
2007年4月26日にラオス政府はミャンマー・マカオ・ラーントゥン社に対して827haの経済観光区開発のための契約(期間50年間、25年延長)を調印した。
その後、2010年9月4日付ゴールデン・トライアングル経済特区に関する首相令にて経済特別区へと格上げされ、開発対象の総面積は3000ha、コンセッション期間99年となった。プーキゥロム保全林7000haを含め、合計10000haが経済特区として認可されている。カジノは2009年にオープンした。
それでは、現地に1時間滞在した様子をお伝えします。
第一印象は、ボーテンの廃墟地と比較して、人がいて寂れていません。
新築の住居にも人が入居していていました。Kings Romanカジノの外にはGolden Triangleナンバーのレクサスが駐車されていて、このナンバーにはラオスの自動車税がかからないと予想できます。
カジノ内は中国人のみで、ディーラーも従業員も全員中国語が話せるようで、中国語しか聞こえませんでした。
カメラの持ち込みは禁止されていて、ラオスプロの一眼レフは入場の前に預ける必要があったため、写真撮影もおおっぴらにはできないと思い、遠慮しながら撮影しました。
柄の悪そうな商売っ気が多い中国人が沢山いて、使用している通貨も元でした。今後増加が見込まれるのは、中国人観光客だけでしょう。カジノの前には広大な原っぱがあって、ラオス人のような人(ラオス語でもタイ語でも中国語でもない言葉)がサッカーをしていました。
この中国人一行はどこからくるのか気になったので、調べてみたところ、下記のように雲南省から陸路でくるか、飛行機で北部タイに飛んでそこからKings Romans社により運行されるスピードボートでメコン川を渡ってくるようです。
このGT SEZはラオス政府によってもSEZの成功例とされているようです。
ということは、間接的にボーテンは失敗と政府が認めていることを意味します。
そもそも何をもって成功、失敗とするのかの定義は難しいと思いますが、当初の政府の狙い通り税収があり、犯罪が頻発してラオス人の人権が侵害されていない範囲内で、ひとまず成功と言えるでしょう。
BotenとGolden Triangleの2つのSEZを実際に見学したことによって中国の開発したSEZに関する興味が湧いたので、アメリカボストンの地にてアカデミックな文献を読んで理解を深めたいと思います。
See you soon.