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【創作物語】私なんか

寂しがりな男との記憶。

始まったきっかけは、ぼんやりとしか覚えていない。

確か、周りに誰もいない隙に

「お前、きれいだよな」

とか何とか言われたのだ。

それで、食事に行こうと誘われた。

* * *


両親は私を、厳しく教育した。

私は素直に、それを受け入れた。

“よその可愛いお嬢さんたちと自分が同じだなんて、間違っても思うんじゃありません”

“お前みたいに見た目も悪いし何にも出来ない者は、結婚もできないに決まっているのだから、自分で働いて生きていかなければならない”

特に悲しいとも思わず、ああそうなのかと素直に受け入れて育った結果、大人になった私は、とんでもない恋愛スタイルを身につけていた。

自分から恋をする事など絶対に無い。なぜなら、“私なんか”に好かれたら相手の方が気の毒だから。

定期的に、そんな“私なんか”にもお誘いがあった。

純粋な恋愛感情からのお誘いもあったし、そうではないお誘いもあった。

でも、どちらにしても、私の対応は同じ。一通りしか無かった。

「えっ、“私なんか”に?!」と毎回腰を抜かさんばかりに驚き、

「これはこれは、“私なんか”をお選びいただき、ありがとうございます!」と這いつくばらんばかりに感謝し、

全てを捧げるのである。

友達に恵まれ、仕事にも恵まれていたが、恋愛方面だけが異様な拗らせかたをしていた。

こんなものは、恋愛ではなかった。

* * *


11歳上の彼は、隣の部署の管理職で、離婚したてだった。

妻に追い出された形で、今更のワンルーム暮らしが寂しくてたまらないと言っていた。

では、“私なんか”を選んでくれたお礼に、その寂しさを埋めて差し上げましょう。

私は呼ばれれば何時でも彼の家へ飛んでいった。

当時は車を持っていたので、本当に時間は問わなかった。

たまに私の家に彼が来ることもあった。

その場合は、体だけでなくお料理も提供できるので、いつもよりやりがいがあった。

彼はよく飲みに行く人だったので、居酒屋で出てきそうなメニューが作れるようにレパートリーを増やした。

でも彼は、言った時間に現れた試しがないし、来ないことすらあった。

来たとしても、必ずべろべろに酔っていた。

仕事が終わると、手近な人間をつかまえて飲みに行く毎日。

私の家に辿り着くのは、余力がある場合のみだった。

それでも私は、文句は言わない。

彼は離婚して寂しいのだ。そしてその寂しさは、埋められなければならない。“私なんか”よりも、仕事仲間の人の方が上手に埋められるのだろう。

連絡なしにいきなりふらっと現れることもあったので、私は常に、冷蔵庫に下ごしらえしたものをストックしていた。

傷みそうになったら、1人で食べた。

太って今より更に魅力が失くならないようにエクササイズも欠かさなかった。

数ヵ月後、職場の偉い人から、さりげなくこんな事を言われた。

あいつは給料の前借りだけでなく、職場の人からお金を借りてまで飲んでいる、と。

私は家の冷蔵庫に、ビールのストックも切らさないようになった。

私はお酒を飲まない。来ない日が続くほどに、冷蔵庫のスペースを塞ぐ六本セットのビールを目にするのが辛くなる。

サイクルが出来てきた。

給料日前なら、お金が尽きているので、必ずうちに来る。

一種の安心が生まれた。不健全な安心が。

彼は更に飲み続けたらしく、ついに家賃が払えなくなったらしい。

マンションが雨漏りして、その修理の間ホテル暮らしになるからそのお金を貸してくれと言われた。

5階建てマンションの2階がどう雨漏りするのか疑問に思ったのと、私の中に僅かに残った常識が、危険信号を発したおかげで、私はそのお願いを断った。

“私なんか”が、“私なんか”を選んでくれた人のお願いを断るなんてと、激しい罪悪感に襲われた。

* * *


ある日、彼が参加していない職場の飲み会で、ある人がさりげなく、彼の別れた奥さんの話題を持ち出した。

親切心だった。

私は初めて、離婚の原因を聞いた。

毎日飲み歩いて家に帰らなかったからだという。

毎日飲んでいるのは寂しいからだと思っていたが、ただのアルコール依存だった。

自分を律することが出来ない人なのだ。

* * *


戸惑いの中、クリスマスが近づいた。

仕事が終わったら行くよと彼は言った。

私はお料理の他に、小さなケーキも用意した。

自制心に満ちた密やかな期待が、そこにはあった。

絶対に来るとは思わないけれど、珍しく自分から約束めいた言葉を発してくれたのだから、さすがに来るのだろうと思った。

夜中の3時になって、私はついに、彼の携帯に電話した。

コール音は鳴り続け、誰も電話に出なかった。

何も食べていなかったけれど、空腹を感じることもなく、私はベッドに入って寝た。

涙が流れて枕が湿っていくけれど、これが何の感情なのか、私は知らないふりをした。

どうでもいいのだ。

彼は私の事などどうでもいいのだし、私も私の事などどうでもいい。

* * *


1週間後、私は勇気を出して、冷蔵庫から、カビの生えたケーキと、腐った料理たちを取り出して捨てた。

頭はほぼ空っぽだった。

心は完全に空っぽだった。

別に、何かが起こった訳じゃない。

何も起きていない。

何も起きていないのだから、何の問題も無いのだ。

* * *


ある日、お呼びがかかったので、私は彼の部屋に行った。

雨漏りの形跡も、修理の形跡も無かったが、別に驚かなかった。

何回か試した後で、彼は幾分自棄を起こしたような口調で、いきなり宣言した。

「終わりだね。さようなら」

「え?」

「俺もう、酒飲み過ぎて起たないんだよ。だからもう、やる事ないでしょ。さようなら」

私はおとなしく立ち上がり、身なりを整えてから部屋を出た。

深夜の2時だった。

家までタクシーで2万円弱した。

自分に問いかける。悲しい?

自分が答える。悲しくなんかないよ。

じゃあ、悔しい?

悔しくなんかないよ、“私なんか”こんなもんでしょ。

本当に?

本当だよ。ちょっと寂しい気もするんだけど。

・・・。

でもさあ、彼の方が寂しいんじゃないかって思うんだ。

彼はもう、お金も信用も失くしてて、
便利な私すら放り出しちゃって、
今から本当に寂しい生活が始まると思うの。

でも私は、お友達いるし、
彼が来ない分頑張ってきたお仕事があるし、
なんかお料理も上達しちゃったし。

私きっと、何かがちょっと間違えてるだけなんじゃないかな。

どこが、っていうのはよく判らないんだけど。。。

ねえ、今気づいたんだけど、、、

私の事を好きでいてくれるお友達が何人もいるって事は、
“私なんか”にも、何か魅力があるって事かもしれなくない?

そうだとしたら、いつか、
お友達と同じくらい私の事が大好きな男性が現れて、
もしかしたら“私なんか”も、
結婚したり、家庭を持ったりできるのかなあ?


* * *


バラバラだった頭と心が、初めて一つにまとまったこの夜から約13年後、
“私” は素敵な男性と出会い、結婚した。

fin.

執筆:糸島あい


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