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書評 日曜日はプーレ・ロティ~料理から考える余裕とは~

忙しい毎日。時短グッズや時間管理術についての記事や口コミが飛び交う。
何のために時短をするのか?勉強のため?遊びのため?休むため?
すべて、今ある時間から余裕を生み出すため。

余裕とは何か?

私は冷凍食品、カット野菜やおかず調味料など様々な時短ができる加工食品を使用している。とても楽でとても美味しい。
そして空いた時間に何をするか考える。
その後、空腹かどうかに関係なく決まった時間に食品を摂取する。
そんな生活は何かに追われているようで自分自身を家畜のように感じることがあった。

プーレ・ロティとはローストチキンのこと。※上記の画像参照

フランスでは鶏が1羽で売っており家庭ではみんなで取り分けて食べるそうだ。私たち日本人でも魚を1匹からさばいて食べることは現在少なく、切り身になったものを買う。日本では生き物を丸ごと食べる習慣は少なくなってきているが、フランスにはまだこの習慣が残っている。

それでもやはり、食べ終わった後に残った胴体をなす骨をみると、“食物としての鶏”から“生き物としての鶏”というもう一つの認識が頭にふと湧くのだ。骨を手で掴み余すところなく肉を食べた後に、一瞬でじわっと広がる居心地の悪さ。

肉や魚を丸ごと用意し調理することは技術も必要で私には不可能である。しかし、野菜なら丸ごと調理できると思いやってみた。

サラダを作るのにカットレタスではなく1玉で買う。洗えば少し土が付いていたようで水が茶色くなる。葉の内側に虫がいたのか虫が水で流されていく。それを見た途端、レタス畑の風景が頭に浮かんだ。レタスが土の養分をもらい生き物であったときの様子だ。手でちぎっていくと葉の抵抗を感じ葉脈にそって不揃いな大きさのレタスサラダができる。“生き物としてのレタス”を認識すると何か言葉に出来ない居心地の悪さから自然の恵みを感じた。

あるときふと、マヨネーズを「調味料」として見ていたことに気づいた。卵を割るところからつくり始めるプロセスを何度も見ているうちに“卵黄と酢とマスタード、それに油を合わせ塩で味付けたソース”とマヨネーズの見方がいつの間にか変わっていた。

マヨネーズも作ってみた。私もマヨネーズとはそれで一つの完成された調味料であり作るという発想はなかった。しかし、ソースとして作り始めると塩気がもう少し欲しいなどのアレンジができる。そう、プロセスを楽しめるのだ。市販のマヨネーズを買えばプロセスなんて関係なく美味しいものが手に入れられる。しかしそこには楽しみはない。

本来は必要でないかもしれないプロセスを楽しむことができるのが人間ではないか。それを余裕というのではないかと感じた。

これらの一連の調理は今までの調理(カットレタスに市販のマヨネーズをかける)より手間も時間もかかり便利とは言い難い。

しかし、生き物の恵みを感じること、プロセスを楽しむことは家畜にはできない。だからこそ、便利な世の中にあえて不便なことをしてみませんか。

執筆 Asami

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