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【書評】漫画『37.5℃の涙』~働くことと育てること

仕事と子育てと、風邪と病児保育

子どもを持ち、子育てと同時に仕事をするようになって、はじめて知った『病児保育』という存在。

私も働く母親のもとで育った。保育園を風邪で休んだことがあるかは定かでない。風邪で学校を休んだときには、祖父母のいる家庭だったので、午前中に母が病院に連れていってくれて、午後からは家で寝ていた。ときどき祖母が様子を見にきてくれたり、飲み物を持ってきてくれたりした。

そのくらいの記憶の中でも、母がおでこに手を当ててくれたり、冷たいタオルで熱をとってくれたのは強烈に覚えている。お昼に消化のいいうどんを食べると、「それじゃあ、お母さん行ってくるね」と言われるのが寂しかった。普段はひとりで読む本を、小学生にもなって、母がとなりで朗読してくれるのが嬉しかった。

そして今、核家族のなかで子を持つ母となった私は時々この『病児保育』を利用する。
体温が37.5℃以上になると、通常の保育園には登園できない。集団行動をするのにふさわしくないと判断されるためだ。親が仕事を休めれば、自宅で療養するが、それが出来なければこの『病児保育』を利用する。

漫画『37.5℃の涙』に登場するのは自宅訪問型の病児保育だ。

発熱と有給休暇

まずもって。子どもが熱を出しているのに、仕事を優先する親がいるのか?と非難の声が聞こえてきそうだ。正直、真っ当な意見だと思う。母親という存在はその子にとって唯一だ。でも会社員として働く場合、その会社の一員でしかない。いくらでも代えはきく。どちらが大事かと言われれば、もちろん母親としての存在だと思う。

ただ、子どもの風邪で仕事を休めないことと、子どもより仕事が大切なことはイコールでは繋げない。それが社会だ。理不尽だし、非合理だ。
それでも私たち会社員ママは、その道を選ぶ。

子どもが風邪で、しかも発熱も伴っている場合、いつもとは違う環境の病児保育へ預けることは、親としても気が引ける。

一方で、預かってくれる場所があることに安心感もある。


子どもの仮病と親の気持ち

前置きが長くなったが、漫画に登場する、あるケースを紹介したい。
それが『子どもの仮病』だ。

我が家には5才になる息子がいる。彼はよく「保育園に行きたくない」と訴える。理由はさまざまだ。お昼寝をしたくない、とか。先生に怒られる、とか。おもちゃが自由に使えない、とか。家庭の方が自由がきくから、彼の主張は当然といえば当然だ。

そんな彼が先日、「お腹が痛い」と訴えた。運動会の前日だった。

緊張もあるだろうし、ウソではないと思った。でも親として、「その程度で休んでほしくない」という思いがあった。

騙しだまし保育園へ連れていき、先生には事情を話し預かってもらった。しかし、お昼頃に電話が鳴った。お腹が痛いと言って、給食も食べないし、ずっと寝転んで具合が悪そうだというのだ。

親は子どもに過度の期待をしてしまう。親の都合や気持ちを理解してくれると思ってしまう。「もっと強くあってほしい」と願ってしまう。子どもを傷つける正義を振りかざしてしまう。

第三者のありがたみ

しょうがなく、その日は息子を迎えに行った。目が合った途端、ぐったりしていたさっきまでとは打って変わって、全力で私のところに走ってくる。

一気に笑顔になる。ニコニコ抱きつきながら、さっきまで職員室で休んでいたことや、先生たちが心配してくれたことを話す。

先生たちも、お迎え要請の電話した手前、気まずそうにしていた(笑)

それでも私は、保育園や病児保育が仲介してくれることに、価値を感じる。親子だけでは足りないこともある。その部分を冷静に、そして愛情深くみてもらえる社会のしくみに、感謝しかない。

どうしても「・・・・嘘ついたの?」と子どもを責めたくなる。親にも余裕がないのだ。先生たちの「本当に痛そうだったんですよ」というフォローが、親子の緊迫を和らがせてくれる。

働く親ができること

子どものウソや、体調不良に働く親は敏感だ。
それは「仕事を休みたくない」という想い以上に、社会性にすぐれた働く女性のアンテナが、ただただ高いだけなのだと思う。そうでなければ、育児と仕事の両立なんてできない。デメリットのようで、実は強みなのだ。

子どもは容赦ない。
働くことと、子育てを両立させることがいかに難しいかを訴えても知らん顔だ。

ウソもつく。でもきっとそれは大人のウソとはちょっと違う。誤魔化しではない。ウソと言う名のメッセージなのだ。何か伝えたいことを不器用で言葉足らずながら、必死に訴えてる。

大人は忙しい。大変だ。
でもそれは子どものメッセージを汲まない理由にはならない。

だって、家庭はなんだかんだ大人の都合で回っている。殺伐とした生活の中に光を与えてくれるのは、子どもだ。

正直わたしは子ども好きではない。
愛情深くというよりは「しょうがない」という思いで育てている。それを間違ってると批判しないのは子どもと夫だけだ。その子どもが犠牲になるのは間違ってるから、彼らの想いを大切に今日も一緒に楽しく生活したい。

※写真からAmazonに飛べるよー

Written by えんどうまりえ

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