追憶のカップヌードル
無性に身体を内側から壊すような食べ物を
かっ食らいたくなる日ってなんであるのだろうかね?
そんな悪事を考えているクセして
お手軽に済ませたいという煩悩さえもあるのは更に厄介だ。
悪いことは計画的にやるべきなのに、、、
善は急げ 悪は延べよ
さっそく某カップヌードルを一つ購入した
味はカレー とくに理由は無い
何故ならばカップヌードルを食べる機会などほとんど無く
カテゴリーに明るくない為だ
お湯を注ぐ際に親指にかかる、
そんな痛みすら愛おしい
数分のLOADINGをかけて御開帳、
溜めに溜め込まれたジャンキーパフュームは
魔人がランプから出現するように立ち込めた
刹那
思い浮かべるのは15歳の夏
高校受験に立ち向かうために
通っていた塾の夏期講習
一部屋のみの個室トイレの横、
手洗いシンクに投げ捨てられた
カップ麺のご遺体が放つ死臭
教室に充満して、消失することなく鼻を犯す
そんな臭いに巻き込まれることなく
目の前に差し出される「問い」の数々を黙々と殺していく。
あの箱の中で擦り切れていくシャープペンシルの音と
無秩序な学生たちの呼吸の数々が脳内で蘇生された、
余裕で。
香りは記憶だなぁ とカップ麺の食レポもそれなりに
感激する。
部屋掃除の道中で見つけた自作の漫画を読み
「案外良く出来た内容だなぁ」と目移りする感覚と同等。
気が合わないと感じた
初対面の豪快なバンドマンの体臭が
「大乱闘スマッシュブラザーズ 64版」の匂いだったり
就職先の気の良い外国人上司の髪の香りが
初めて好きになったあの子の匂いであったり
世に漂う香りは脳内に組み込まれた
メモリーカードに直結している。
まったく普段は記憶にない出来事も
嗅いだ瞬間に前日の思い出かのように広がる。
コロナ期間の弊害でマスクを常時付けている際には
この行為が悪に等しいため行えなかった。
今では空気が澄んでいると踏んだなら
めいっぱい息を吸い込んで肺をタプタプにする、
これはとても幸せなことだ。
人間の五感はしっかりと過去と連動しているのだろう、
生命活動二十数年は宇宙規模で考えると些細な数字であるけれど
「生き残ったなぁ」と一寸だけ自分を誇らしく思えるのだ。
ほんの数秒の余命を削るやもしれない
ジャンクフードを片手に
思わぬ形で価値観にDLC(ダウンロードコンテンツ)を追加購入できたと喜びを得た
カップ麺の味はまぁまぁでした
こんな素朴で愛らしいひと時を蘇らせるためなら
10年後らへんにでもまた食そうと思った。
それまではさよなら カップヌードル
また会う日まで