5分だけ行方不明になる男

老人ホームの個室の鏡を拭く私の前にいるのは、あきらかに未勝利馬の私。
 努力はしているものの、出世も縁遠い介護職員の末端だ。趣味の下手な俳句を詠みながら、気に入った競走馬に少額を投じ、週末のささやかな楽しみとしている。
 介護という職業柄、土日祝の休み獲得が万馬券並みに困難な月ばかり。私の施設ではなぜか、共用スペースのテレビで競馬中継を流すことはない。理由はとくに無さそうであるが、勝手にチャンネルを変更することは躊躇われる。問題は休憩室だ。競馬の時間には大抵お局様がどっぷりした体を横たえて、二時間サスペンスの再放送を見ている。
 空き時間ができれば、スマホで結果だけを確認するのだが、リアルタイムで応援したい時だってあるじゃないか!
 鏡の前で大きなため息をつくと、個室の扉が開かれた。 
「でっけえため息だな。馬じゃあるまいし」
 杖をついて部屋に入ってきた白髪の老人が、苦笑してベッドに座った。私の【師匠】だ。本当はちゃんと佐藤さんという名前がある。部屋にあるラジオで中継を時折り聞いており、一緒に聞いていたレースを佐藤さんがたまたま当てたので、「これから師匠と呼ぶね!」と、私が口走ってしまったに過ぎない。佐藤さんがとても喜ぶので、この呼び名が定着してしまった。
「やっぱり、あずちゃんとこの親方さんにお願いしたらどうなんだ、休憩室のテレビ、五分だけ競馬に変えてくれって」
「師匠~?サボってないで働けって一喝、施設長からドン引き、どっちがオッズ高いと思う?」
「…拮抗だろうな…でもあの親方ならわかってくれるんじゃねえか」
 そんなわけはない。
 施設長は四〇代。自分の話をよく聞いてくれる、綺麗な女の子が大好きだ。私は仕事上の会話ぐらいしかしない。雑談をお互いこなすこともあるが、関心は無さそうだし、ほかに反応の良いスタッフがいれば、そちらと楽しそうに会話する。
「嫌われてるから、それはちょっとね」
「考えすぎなんじゃないか?まあ、ここなら聞き放題だけどな。いつでもサボりにくりゃあいいさ」
 そう言って、師匠は、枕元にある小型ラジオを愛おしそうにさすった。
「私働き者だからな…どうしてもって言うんなら仕方ないけどね」

 それから私は、土曜日や日曜のメインレースの五分だけ、師匠の部屋に通うようになった。スタッフに悟られないように、掃除用具を搬入する念の入れようだ。師匠は気持ち控えめに中継を流してくれている。
 ゲートが開く、わざとらしい音。
 歓声、臨場感のあるアナウンサーの実況。
 耳だけで堪能する競馬は、音の先にある競馬場を鮮やかに想像させる。
 この日はとても、ゴールの歓声がうるさかった。それもそうだ。二〇一八年の中山グランドジャンプの勝ち馬は、絶対王者であるオジュウチョウサンなのだから。まさかの三連覇。歴史を覆す、まさかのレコード。                 
 私はオジュウを愛している。勝ち続ける精神力、好敵手であるアップトゥデイトを獲物を狩るがごとく追走する姿は、どんな競馬ファンでもかっこいいと思うはずだ。私は、佐藤さんに、オジュウが未勝利馬で障害デビューしても惨敗続きであったことを教えた。どん底から這い上がり、栄光を浴びたというドラマ性も人気の由縁だが、勝てないレースを積み重ねることのつらさを味わいながら、それでも出走し続けた事実に、励まされずにはいられない。
 私は、つらいことから簡単に逃げる。冒頭部分で、【趣味の下手な俳句を詠みながら】なんて書いてしまったがあれは嘘だ。本当は俳句を本気でやっているが、芽が出ないので趣味ということにした。着狙いぐらいのスタンスでやらないと、落選したときのショックが大きい。勝ちに行けないのだ。今回応募した賞は二次審査通過の通知が来た。結果は七夕の発表で知れるが、受賞まで漕ぎつけられるかわかったものではない。
 オジュウについての熱弁を終えた私に、佐藤さんは「なるほど」唸った。
「オジュウは愛されてんなあ、でもオグリの人気と比べるとどうかね」
 あのラストランのときも、佐藤さんは、ラジオ中継を聴いていたという。
「オグリ、生で見てみたかったな。私、あの有馬記念の日に生まれたんだよ」
 ふと、あの偉大な馬と自分に関連があるかのように自慢げに話してしまった。他に誇れるものが何もないから。これではオグリにあまりにも失礼だと思い、しまったと思った。
「あ、ちなみに私、午年でさ!もう競馬やる運命だったんだよね!」
 意味もなく焦る私の肩を、師匠がポンとたたいた。
「だからか!よく似てんな、オグリとあずちゃん」
「いや、ひとつも」
「似てるよ」
「いや…」
「泣くなよ」

 五分だけ行方不明になってから二か月が過ぎると、師匠は、私の名前を忘れ始めた。そのかわり私を見てオグリと呼ぶようになった。最初は冗談で言っているんだと思ったが、そうでもないらしい。次第にラジオの使い方がわからず、私が代わりに操作することもあった。あるいは、ずっとつけっぱなしにして、夜勤を困らせていたり、あの施設長でさえ、佐藤さんの認知症を心配することがあった。

 事務室の掃除をしているとき、パソコンを打ちながら、施設長が私に語り掛けているようだった。
「吉田さん、佐藤さんの調子どう?」
「みんな悪いって言ってますね。ラジオもうるさいって」
「そういえば、吉田さんなんだか、別名で呼ばれてるんでしょ?」
 驚いた。ほかのスタッフには聞かれていないはずなのに。
「オグリって。なんでしょうかね…」
(実は私、競馬やってて。オグリキャップに似てるって言うんですよ!)なんて言えるわけがなかった。
「そうなんだ…でも佐藤さんのラジオは特別なラジオだから、あのまま使わせてあげたいな」
 あまり利用者に肩入れしない人間で、面倒ごとが嫌いな施設長が一体どうしたのだろうか。気持ちが悪い。
「らしくないですね」
 どうせ嫌われているのだ。何を言ったって良いじゃないか。
「利用者と仲良くしすぎると、ロクなことがないよ」
 驚いた。あまりにも優しく、諭すような口調で私を見つめたのが、初めてだったから。

 それでも、やはり秘密の五分間はお互いの楽しみになっていて、なんとか佐藤さんが自分でラジオを調節することもあった。馬券を取ったようにうれしい表情をして、私を待ち構えていると、ほっとする。
「おう、来たかオグリ」
「あずさだって」
「オグリ」
 私は、とくに愛されないし、なにかを成し遂げられる人間ではない。呼ばれ続ける度、胸が痛む。
「今日はやっぱりゴールドシップの連覇かな?」
 師匠が突然、的外れのことを言った。宝塚記念は来週だ。ゴルシはたしかに宝塚記念を連覇した。しかしそれは、二〇一四年のことだ。翌年には豪快にゲートで立ち上がり、もれなく私も悲鳴を上げた。
それだって、三年前のことである。   
 もはや師匠の脳は正常ではなかった。
「…そうだね。ゴルシは、強いからね」
「オグリ、あいつ好きだもんな。でも背高のっぽの弟子はひねくれってから絶対買わねーだろうな」
「…そ、そうだね」
 どうしたんだよ。ゴルシも好きだけど、同じステイゴールド産駒のオジュウを愛してるって言ったじゃないか。そして、オジュウが今度、福島で平地に挑戦するんだって、昨日も話したばかりじゃないか。
 私は脚立の最上段に上っても蛍光灯を替えられないチビだ。誰だよ。私以外に弟子がいるっていうの?
「まさか、オグリが買ってきてくれるなんてな」
 今までベッドに座っていた師匠は、突如立ち上がり、危なっかしい杖歩行でタンスに進む。反射的に後ろから支えた私は絶句した。
 たどり着いた先で、師匠が引き出しから取り出したのは、印字が薄くなった、二〇一四年、宝塚記念のゴールドシップの単勝馬券だったのだ。
 まだ、ラジオからファンファーレは鳴っていない。
 ベッドに促してから、私はバレないようにそっと枕元のラジオを切った。そして、やるせない嘘をついた。
 スマホで当時の動画を探して、音源だけ流したのである。ノイズの入らない、久しぶりに聞く明瞭なファンファーレも実況も、歓声すら、そこはかとなく淡泊に思えた。
「やったなオグリ!やっぱり連覇だって言ったろ?」
 興奮している師匠を直視することなど、できはしなかった。
 
 落胆して部屋から出ると、お局様が声をかけてきた。
「五分でどこか掃除できたの?」
「ああ、まあ棚をささっと…」
 ぬかったと思った。スマホの音量が大きくて、廊下に漏れでもしたのか。
「あんた、明日休みでしょ。ちょっと手伝ってほしいんだけど」
「あ、え?」
    
 暴君オルフェ―ヴル並みの運転で、お局様はデコボコ道で軽トラを疾走させる。竹林を目指し、ひた走る。助手席の私は抵抗できずに必死で耐えた。なんとなく池添騎手の気持ちがわかった気がした。
 仕事の愚痴、スタッフの悪口を一通り聞き終わったころ、お局様の知り合いの竹林に到着した。言いなりになりながら、七夕飾り用の笹をいくつか切り出して荷台に積んだ。
 本当はいつも施設長が手伝ってくれていたそうだが、今日は師匠の介護度を変更する調査に立ち合っているそうである。
「佐藤さん、あんなになっちゃうなんてねえ」
 ため息をつきながら、軽トラでまた暴走を始めたお局様は、少し憂い顔だった。
「昔は佐藤さん、どんな感じだったんですか」
 お局様は、施設長と同じくらいの古株だ。もしかしたら、オグリと呼ばれる人や、背の高い弟子について知っているかもしれないと思った。
「…施設長は、あんたのためを思って言わないけどね」
 
 施設長が、まだ主任だったころの話だ。御局様が主任に用があって館内を探したが、さっぱり見当たらない。それは一度や二度ではなく決まって日曜日の、午後三時半ぐらいだったという。今日こそ見つけてやると意気込んだお局様は、佐藤さんの部屋が妙にうるさいことに気付いた。開けてみると、いい大人が年季の入ったラジカセを囲んで二人してはしゃいでいたのだった。
「弟子をとったって、佐藤さん楽しそうに言ってたわよ」
 主任が、私と同じ行動をしていたとは思いもしなかった。身寄りもない師匠にとっては、主任の弟子入りは、万馬券よりもうれしかったのではないか。
 時期を同じくして、小栗さんという小柄なおばあちゃんが入居した。スタッフの手伝いを進んで行う働き者だったそうだ。自分と同じ名を持つオグリキャップを愛し、葦毛を贔屓していたそうである。
 主任はどちらも競馬好きであることを知り、二人を引き合わせることがあった。小栗さんには家族がいたが、「お友達ができてよかったです」と好意的だった。小栗さんは家族とよく外出をし、阿見のアウトレットに行った際には、オープンしたばかりのライトウインズ阿見で師匠の分まで馬券を買うこともあった。師匠の持っているラジカセが壊れてしまってからは、小栗さんが自分の小型ラジオを持って、足繫く部屋に通った。
 弟子は二人から何かを察し、五分だけ行方不明になることをやめた。

「でもねえ、小栗さんその後、脳梗塞になっちゃってねえ」 
 赤信号の最中、御局様は藪蚊に刺されただろう腕を、ボリボリと掻いた。
 
 病院から戻ってきた小栗さんは車椅子に乗っていて、別人のようになっていた。被害妄想が増えていて、「あの人に馬券を盗まれた」と、佐藤さんを指さして怒鳴った。その状態に家族は内心安堵していたという。「面会や外出の度、母は佐藤さんの話や競馬の話ばかりしていたんです。父の話をさせようとすると、少し表情が硬くなる…正直ほっとしているんです」と、御局様に息子は話した。一緒にいた主任は、何も言わなかった。何を、思っていたのだろう。
 その後、再び脳梗塞で入院し、ある日家族が「もう使えなくなったので」と言って佐藤さんに小型ラジオを渡した。
 それから職場では、競馬に関する話題をしないのが暗黙の了解となった。
 
 私は、小栗さんの形見のラジオを愛おしそうにさすり、宝塚記念の馬券を人知れず保管していた師匠の姿を思い出す。認知症には、さまざまなケースがあるが、一番幸せだった時代に戻ってしまう人もいる。きっと、師匠もそうだ。
「傷ついても師匠は、小栗さんと施設長のこと、好きだったんだと思います」
 急に腕が痒くなったので、私もボリボリと掻いてやった。


 七夕当日。たくさんの利用者と一緒に短冊を飾る。今日は私の応募した俳句の賞の発表日だ。そして、障害王者オジュウチョウサンが、有馬記念に向けて始動する。つらさを乗り越えたその先の、別の舞台に挑む勇敢さに、敬意を抱く。私の俳句がだめでも、次は勝ってやる。そんな気持ちにさせられる。
 きっと師匠は、小柄な私を見て「小栗(さん)に似てる」と言ったのかもしれない。あるいは、冗談だったのかもしれない。今度、言ってくれることがあるかはわからないが、俳句で勝って「オグリキャップに似てる」と言わせてやりたい。
 そんな気持ちで、短冊には【勝つ!】とだけ書いた。
「あれ、施設長見ませんでしたか?」
 他のスタッフに兄弟子の行方を問われ、ハッとする。
「もしかして」
 オジュウの出走する開成山特別は九レース。もう間もなくである。

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