一年間の自宅浪人
高校を卒業して、わたしは自宅浪人、通称『宅浪』となりました。
そもそも入学金を払えないから浪人しているわけで、予備校代など払えるわけもありません。
ちなみに余談ですが、塾は小学5、6年生の頃、中学2、3年生の頃、通っていたように思います。もはやうろ覚えですが。
勉強は本人のやる気がある時のみ伸びるもので、強制されても、塾に通わせてもやる気がなければあまり意味がないな…というのが塾を経験しての持論です。
ただ、学校や塾でいい先生に当たったり、友人が出来て刺激になったりを経て、その科目に興味が湧くこともあるので、一概に無意味とも言えませんが。勝率の低いガチャですね。
国語はもともと出来ましたが好きではなく、高校で生物と数学を好きになったのは当時の恩師のおかげかと思います。科目の魅力を伝えるというより、わかりやすい授業をすることで理解する楽しさを知ったかたちでした。
脱線しすぎましたね。
さて、宅浪を開始した私ですが、毎日母から催促されたのは意外にも勉強ではなく、アルバイトの面接でした。一年間バイトして入学金を貯めなさいというわけです。
重い腰をあげてアルバイトの面接へ行き、なんとか引っ掛かったのが飲食店のアルバイトでした。平日は夕方から閉店まで、土日は終日です。一日中暇なくせに、どうしてそんな大学生みたいなシフトにしたのでしょう。
昼まで寝て、軽く食べてバイトへ行き、帰宅して食べて寝る。ぐうたらなフリーター生活が合っていたようで、9キロ痩せました。
ほぼ始めてのアルバイトに最初は苦戦しつつも、12月頃まで楽しく続けました。年度末で店が閉店することとなり、1月にはセンターもあるため少し早めに退職することにしたのです。
勉強の方はお察しの通りほとんどしない一年でした。同じく浪人の友人と自習室に行ってみたり、予備校に通う友人から模試の情報を得て申し込んだり、ようやく自主的に勉強を始めたのは秋冬頃でした。
当然ながら県内トップの公立を受ける学力はなく、別の学校で、学部だけは希望の学部を受けることにしました。
センターは運良くそこそこの点数がとれて(現役の頃とあまり変わらないか、やや落ちていたかもしれません)受験した公立校の二次試験は小論文でした。
この小論文でやらかしました。
受け終わった時点で明らかにまずいとわかっていたので、まさかの私立大学の後期試験を申し込むことにしました。
後期試験の内容は、むちゃくちゃ簡単なもので正直なめてんのかと思いました。その前に小論文でこけているのに生意気ですね。
結果は公立不合格、私立合格。
通して読んでいる方はお気づきかと思いますが、親もなかなかですが私もなかなかです。
本当になにも考えずに生きていたんだなと思います。
尚且つ、当初は自分でアルバイトをして入学金を貯めるような計画(親の希望に、私もなんとなくできるような気がしていた)でしたが、もちろんそんな額の貯金はできていません。
結局、父方の親戚に頼り、入学することとなりました。
一年前はあれほど嫌がっていたのに、いざ大学へ入れないとなると現金なものです。今回は学部が自分で学びたい分野だったことだけが救いでした。
高校三年生の頃の担任へ電話をすると、それでも行き先が決まったことをとても喜んでくれました。心配かけていたんだな、と今更ながら反省しました。
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