奨学金の保証人は年金暮らしの祖母だった
いま思い返すと極道な話ですね。
大学へ入学しましたが、奨学金を借りないと学費は払っていけません。資料配付が始まると、当然申し込むことになりました。
給付型ではなく返済型でした。もっとがっつり色んな方法を調べるべきでしたが19歳の私は考えなしでした。
保証人は当然親…かと思いきや、別家計が要件でした。そらそうか。親も自分も払えないから奨学金借りるんだもんな。
(追記:連帯保証人が父母、保証人が4親等以内の成人親族でした)
仕方なく、隣の県に暮らす祖母へ電話で打診しました。周囲でお願いできるのは祖母しかいませんでした。ちなみに、資産家では全くありません…
祖母は快諾してくれ、遥々電車を乗り継いで署名してもらうことに。あの二時間の電車旅は忘れられません。人生最初で最後(でありたい)の『借金しに行く旅』でした。
申請した奨学金の額は月に10万円。当時の資料を見ると3~10万の間で4段階選べたようです。なんで満額にしたんでしょう。学費のみで考えたら6万で良かった。なんか6万のところに印ついてるし。
確か母と話し合って、余るようなら額を下げようという話になったのです。普通は逆だろ、なぜ気づかない当時のわたし!
最初から月に10万借りて、減額するはずがないのです。いやー余ったよねなんてならないんです。手続き面倒だし、そもそも奨学金が入金される口座は母が管理していました。名義がどちらかは記憶にありません。母だったかもしれないし、私だったかもしれません。
奨学金を借りたことは後悔していませんが、借りた額と口座管理を任せたことはずっと後悔しています。
借金するのは私なのだから、返済するのは私なのだから、自分で管理すべきでした。金額は学費ぎりぎりにすべきでしたし、余裕を持って借りるならば学費以外の使い道は自分で決めるべきでした。
卒業と共に返済予定表が手元に届きましたが、返済総額は510万円、返済回数は240回にのぼっていました。20年ローンです。毎月2万3千円程の返済で、40歳を越えるまでそれは続いていました。
あれ?マンションでも買ったかな?と思わず呟きました。
年利は当時で1.02509801%でした。これが高いのか安いのかはよくわかりません。
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