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【読書連想文】家族シアター(2014)

辻村深月の短編集。こちらは『噛みあわない会話と、ある過去について』とは違い、心温まる全7編です

これも時間があるときにほぼ一気読み😂

最後の「タマシイム・マシンの永遠」を除くと、ちょっと人間として成長不全のような人たちが出てきて私も最初はウゲーと思うのですが、そういう人たちも含めて物語の終盤に向かうにつれて、ほとんどの登場人物たちに親しみを感じられる面があると思えてきます


「妹」という祝福

我が家の学習児もオタクの側の人間ですが、私は大人になってこの世はオタクなのが最強😎と思うようになりました😂

学習児は今は悩んでます。自分は学校で人気者になれないと

そんな狭い社会でほんの数年のことなんて、今が過ぎたら全然大丈夫なのにね😂

サイリウム

日本で推し活するのって大変そうですね。コンサートに行くだけでこんなに細かいことを指図されるなんて、某国だったら考えられないことです😂

私もヤダな😂

私のディアマンテ

昔のテレビドラマ『高校教師』を思い出しました。今の時代では放送できませんね😂

某国では未成年に対する法律がガチで厳しく、子どもに関わる仕事(有償であってもボランティアであっても)犯罪歴のチェックは必ずされるので、一度でもなんかやらかしたら教育現場からの退場が一生決定です

気をつけましょう

タイムカプセルの八年

私も小学校6年のときに、タイムカプセルではないけれど、20歳の自分に宛てた手紙を書き、それを20歳のときに受け取りました

私にはとても悲しいことでした

私は家ではカーストの底辺にいたけれど、学校ではがんばると褒めてもらえるということを学習した瞬間から、なんでも一生懸命にがんばる子になり、なにをやっても優秀な子になりました

だから当時は自分は優秀だと思っていたのですが

大人になって、あのとき自分が優秀のように思えたのは、あまりにも家庭環境が悲惨で、そこから抜け出すための動機づけが周りの子たちと格段に違ったから、それだけのことに過ぎないんだと気づきました

気がつけば自分は知能的には別に大したことがない、精神的にはそうとう低脳です

あのころは人は努力をすればなんでもできると信じて自分にとても期待していたのに、現実はそれとは程遠くて、愕然として、最初は自分にとても頭に来て、しばらくして少し落ち着いたらとても悲しくなり、その気持ちをいまだにどこかで引きずっています

1992年の秋空

私も小学校1年生のときだけ学研の『学習』を買ってもらっていました

実は私は『科学』のほうがよかった。けれど親に物を申し立てると怒られると思ったのでそのままにしていたのだけれど、『学習』にも『科学』の広告があったので、『科学』のほうが絶対におもしろいのにと思っていました

私の親は別に私のことを思って『学習』を買ってくれたわけではなく、狭い田舎の世界で人に恩を売るためにやっていたことで、私が小学校2年生になったら購読が急になくなり、なんの説明もありませんでした

『学習』には不満があったけれど、熱心に読んではいたので、ショックを受けました

孫と誕生会

これも人生経験が乏しいから心ない態度を取る子どもの話ですが、身内はそれでもやっぱり頭に来ます😂

学習児に対してあまり態度がよろしくなかった学習児の「友達」

今はそこそこ上手くやれているようだから、あのとき変に口を出さなくてよかったです😂

タマシイム・マシンの永遠

学習児が生まれたとき、私は親として自分が想像していた以上に未熟で、学習児がオギャーと泣くしかなかったときに自分が親としてしてやれなかったことを今になって悔いています

学習児はおそらく知覚過敏気味でオギャーと生まれてきたらなんか眩しいし、うるさいし、皮膚に触れてくるものがチクチクして気持ち悪かったんじゃないかと思います(本人はそんなの全然覚えていないし知らないと言ってますが)

学習児に泣き叫ばれるたびに、自分がダメな親だって言われているような感じがしていたんだと思うんです

私はたくさんのため息をついたし、笑ってないことのほうが多かった

今だったら、泣き叫ぶ赤ちゃんもいるから、そういう赤ちゃんの場合は大丈夫だよって泣き止むまでヨシヨシってやってあげればよかったのにってわかります

後悔先に立たず

現在、敗者復活戦中です😂

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