毒親の嫌がらせを無力化する方法
できるもんだ。
なかなか難しいけれど。
毒母が、しつこく嫌がらせを繰り返すので、その嫌がらせが、無力化してきた。
もう一回書く。
嫌がらせも、繰り返されれば慣れてくる。あまりにしつこくするもんだから、私も周りも、慣れが出てきた。だから、毒母の嫌がらせは、無力化してきているのだ。
そう実感するほんの少し前のこと、今回も、迷惑をかけた関係者の所に、慌てて駆け付けて、お詫びに説明、と胃を痛くしたりもした。だけど、そうするまでもなかった。開口一番、「大変ですよね」と言われたのだ。
毒親は墓穴を掘る
そらそうだよね、と。
お察し頂く材料としては、これ以上ない。毒母が自分で、自分の凶荒ぶりを示して回っているのだ。
弁明なんて要らなかったのだ。ホッとした。心底ホッとした。
それでも、迷惑は迷惑、無駄な時間は無駄な時間。お詫びして、簡単に事情を説明したけれども、相手は終始機嫌良く、同情と理解を示してくれて、心底ホッとした。
解縛のための布石
言うても、その前提条件として、日頃から自分の周囲と良好な関係を築いておかないといけない。信頼関係が、必要だ。
当然、自分が努力してこなければならないし、相手にもある程度はリテラシーがないと、望むべくもない。
もう「子ども」ではない
それは刷り込まれてきた。
友達にあることないこと言いふらすと脅されて、実の親だという存在の、あまりの卑怯さ、自分の立場の弱さ、そして、まだまだ親に全能感を見てしまう時期の、そのことで自分の信用が地に堕ちたらどうしようという恐怖感。
それで反抗を抑制しているのだと悪どさへの怒り、憤り。
もう、そうした子ども時代の私ではないのだ。
毒親は、支配の手管として、子どもの自尊心を丁寧にすり潰して育てる。
支配から脱するには、その呪縛を解かないといけない。
簡単なことではないけれど。
いい加減、人生も折り返しになる年齢。いつまでもクズにやられて、たまるかよ。
私は「やられっぱなし」でい続けない義務がある。
従業員がいて、子どもがいる。
むしろ庇護する側で、あらねばならんのだ。
子ども時代の汚い刷り込みにヤラレて、生産性を落としている場合ではないのだ。
まともな人生を送ってきた人ならここで、嫌なもんは嫌だと、シンプルに撥ね付けることが出来るのかもしれない。毒親育ちには、理由が要る。情けないし、恨めしい。
だが、こんな自分からも、早く抜け出してみせる。