浅見光彦と私の37年 ①
いまでこそ商業誌で浅見光彦シリーズをコミカライズさせていただいていますが、ここまで来るのには本当に紆余曲折がありました。
年表にしてみると…
1987年
火曜サスペンス「平家伝説殺人事件」の水谷豊版浅見光彦にハマる。
1989年
会社を退職。退職記念(記念?)に会社でいただいた図書券で内田先生の既刊本を一気買い。本格的に浅見にハマり、同人誌「公務員の手帖」を描き始める。
1990年
プロデビュー
1991年
映画「天河伝説殺人事件」公開
角川書店から花村えい子先生による同タイトルの初の浅見シリーズコミカライズ単行本発売。悔しくて同人誌を出す。(公務員の手帖3の頃)
1993年
公式FC「浅見光彦倶楽部」発足。「平塚亭」でF Cの情報を知り速攻入会。
もう詳しい年は忘れてしまったけれど、サスペリア(後のサスペリアミステリー)で浅見シリーズのコミカライズが始まり、あまりの悔しさに同人誌を持ち込み、何とか担当(と言ってもひとり編集でしたが)がつくも浅見は描かせてもらえず。
じゃあなんで担当になってくれたかというと「FC会員だって言ってたから後々便利に使えそうだし、家が帰り道だから原稿取りも楽そうだったから」(編集本人談)だったそうです。
そんなワケで、当時流行っていた「ミステリーツアー」のレポまんがやミステリーツアーの特典小説(浅見光彦倶楽部作内田先生監修)のコミカライズしかさせていただけませんでした。
やっといただいた本編のお仕事「記憶の中の殺人」も単行本にはしていただけなかったため、サスペリアミステリー時代の作品は公式のコミカライズリストに載ることなくサスペリアミステリーの廃刊とともに商業誌で浅見シリーズを描く道は閉ざされたのでした。
「浅見光彦と私の37年」②に続く