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異物混入の報道を聞くたびに思い出すあの日のこと


   異物混入のニュースを見ると、必ずと言って良いほど思い出すことがある。私が中学2年生の頃の話。4月の全校集会で、赴任してきた先生の紹介があったのだが、ひとりだけ特別支援学校からやってきた先生がいた。あまり聞き慣れない言葉で、周りの友達も同じようなことを言っていたのを覚えている。この先生(N先生)は数学の担当だった。初めての授業の時、先生はこう言った。

「僕は怒らない」

誰も口にはしなかったけど、教室の空気がザッと変わったのが分かった。N先生、ここではそんなこと言ったらダメだよと心の底から思った。何故なら、私の出身地は都内で有数の貧民街で、人としてのレベルが著しく低い連中が多いところだからだ。低能や貧乏、頭のおかしい奴らがごまんといる。中には父親が傷害罪でお勤めに行っているとか、現役の暴力団組員なんていうのもいた。そんな貧民街にいる連中は、平気で虐めをする。弱いと判断されたらやられる地域だった。N先生はまさかここがそんな場所だとは思わなかっただろう。特別支援学校の雰囲気は知らないが、間違いなくこの地域の中学校よりはよっぽどマシである。

    N先生は本当に怒らなかった。愛を以って接していたけど、みんなは見下す態度を取っていた。文句を言うやつ、キレるやつ、授業を抜け出すやつがたくさんいた。ちなみに都内の公立中学2年生は、ほぼ全員中だるみをする。理由は、都立高校の内申点は3年生の成績で決まるからであり、2年生の成績がどんなに悪かろうと3年生で挽回すれば問題はない。私も例外ではなく、たるむにたるんだけど、成績は良い方だった。ただし、数学を除いて。

    私は学年約300人中、「上の上の下」らへんの成績だった。「上の上の中、もしくは上」には行けなかった。理由は数学が大の苦手だから。計算は出来ても、文章問題になった途端にフリーズしてしまう。他の科目がどんなに良い得点を採っても、数学でいつもご破算になる。今でこそ、得意な科目を伸ばせと言うのだろうが、当時は、苦手を克服してこそ素晴らしいと讃えられる時代だった。どうしても数学が飲み込めなかった私には苦痛以上の何物でもなかった。

そんな矢先、自分史上最大の事件が起きた。

三角形の証明が全く分からない。

N先生が何を言っているのか分からない、聞いても分からない、どうしようも無かった。このままだと成績落ちる、、、。でも分かんない。こっちが絶望感とイライラで不愉快極まりないのに、N先生は相変わらず怒らなかった。でも、だんだん生徒たちから舐められて、顔色がどんどん悪くなっていく。そんなN先生を見ていて、私までイライラしてきた。

    そして、定期テストの結果が返ってきた。案の定、半分も採れなかった。しかも部分点だけしか採れておらず、大きな赤いバツ印が並んだ。もう嫌だった、親に何て説明しよう。こんなわけわかんない問題なんか、、、と、私はその回答用紙をN先生の前でビリビリに破いた。N先生が解説をしている最中に。私はハッと笑った。やってらんねえ。

N先生は、笑っていたけど悲しそうだった。

    N先生は隣のクラスの担任だった。隣のクラスには、ちょっと厄介な女子生徒がいた。成績は「上の上の上」だ。弁が立つというか、頭の回転が速いというか、この女子生徒が特にN先生を挑発していた。この頃にはN先生も、生徒からの執拗な嫌がらせに怒っていた。その隙を生徒たちは見逃さない。「怒らないって言ってたくせに」の大合唱だった。私もこの頃、教室の後ろの席に座って不貞腐れていた。父親の母親へのモラハラ、数学さえ出来たら学年トップ層に入れるのにという担任からの言葉、さっさとキレちまえばいいのにというN先生の複雑な気持ち、思春期特有の湿っぽい感情にどうすることも出来なかった。

    ある日の放課後、隣のクラスの友達が教室から出てこなかった。いや、クラス全員出てこなかった。何やら事件があったらしく、学級会議が開かれていた。友達とこっそり教室のドアに耳を付けた。

N先生が大きな声で怒っている???
違う、泣いている、、、。

友達は声を殺して笑っていたが、私は胃の奥がぎゅっとなった。上記に書いた厄介な女子生徒が、技術の授業で出たおがくずをN先生の給食に入れたのだ。彼女とは交流があったけど、こんなことするようには到底思えなかった。

やってはいけない一線を超えた。

    私はしばらく胃の奥の不快に悩まされた。N先生はもうただ教えるだけの人形みたいに成り果ててしまった。怒りもしないけど、笑いもしない。心が壊れた人の顔だった。

    私は両親への不満と、数学の不出来をN先生にぶつけてしまった。みんながN先生からの挨拶を無視したから、同じようにしたこともある。異物混入の事件が報道される度、N先生のことを思い出しては申し訳無さでいっぱいになる。そして、自分の娘が私への不満から第三者に憂さ晴らしをするのではないかと思うと、より自分の気持ちにゆとりを持たなければならない。

N先生は、去年まで約10年ほど特別支援学校にいたことが分かった。学校の新聞がネットに載っており、子供たちとスーパーまで行き、買い物をした記事を書いていた。思わず涙が出た。私たちのようなクズなんかより、心がきれいな子どもたちに愛を以って接していてすごく安心した。何を今更かもしれないし、同級生でこんなこと思ってるのは私だけかもしれない。でも、人を故意に傷つけた罰を半永久的に受けよう、そんなことを思った。


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