結婚はどこへ消えた?
夜の灯りクリニックのヨルです。
今日は結婚はどこへ消えたのかについて考えてみたいと思います。
私たちが大切にしていた結婚がいつの間にかどこかへ消えてしまったことをご存知ですか。
お前は何を言っておるのだ、非モテなのか、と思われるかもしれませんが、結婚は確かに年々どこかへ消えてしまっています。
とりあえずデータをご覧下さい。年齢別未婚率の年代別推移です。
1970年代後半から堰を切ったように男性の未婚率が上昇しているのが分かります。やや遅れて女性の未婚率が上昇しているのも基本的には同様の傾向です。
最近の若者は草食系だとよく批難されますが、結婚に関して言えば、草食系の時代に突入したのは最近の若者の親の世代です。少なくとも連帯責任と言うべきでしょう。(そもそも恋愛という観点では、現代でもさほど草食化は進んでいません。これは別の記事でご紹介したいと思います。)
むしろ2005年頃から30~34歳の未婚率は不自然な程にほぼ横ばいで推移しているので、最近の若者は逆境の中でよく結婚してきた現状があると言えます。
この理由の一つとして、30歳あるいは35歳、このあたりに結婚に対する心理的抵抗線があるのかもしれません。女性の35歳という年齢に高齢出産という医学的な壁が設けられていることも一因でしょう。その他の生物学的・社会学的な理由もあるのでしょう。大人の皆さんには心当たりはありませんか。
どうやら人類の集合意識の中に、ぼんやりとした不安を惹起する30歳から35歳の壁が存在するようです。(これも重要なテーマですので、別の記事で改めて深掘りしたいと思います。)
とはいえ、現代ではこの壁を男性の半数、女性の3分の1が未婚のまま突破していきます。ここを突破する日本人の約半数が生涯未婚率の定義である50歳時点での未婚に辿り着きます。
50歳時点での未婚率を意味する生涯未婚率は未だピークが確認できていません。おそらく35歳の心理的抵抗線を突破した後、人類は結婚意欲を保つための有効な心理的抵抗線を見つけることができていないのでしょう。したがって生涯未婚率はしばらく上昇を続けることが予想されます。
誤解しないでいただきたいのは、結婚しない選択をすることは個人の自由であり、ここではその善悪を論じたいのではありません。むしろ、価値観の合わない結婚をすることによって不幸になるケースがあることは明白であり、結婚は必ずしも幸福になることが約束された選択ではありません。
そして、35歳を越えると結婚できないということでは当然ありません。最近の出産は3割近くが35歳以上の高齢出産であるという現実もあります。医師としては、高齢出産をとりまく問題点はもう少し丁寧に議論されてもよいと感じます。
しかし、統計学的な帰結として、35歳前後に人類にとって重要な心理的抵抗線が存在しているというのはどうやら確からしく見えます。ここを突破するためには、能動的にせよ受動的にせよ、何らかの決断が行われる必要があるのでしょう。
さらに言えば、少なくとも2020年までは35歳の心理的抵抗線が比較的有効だったと言えますが、近い将来に35歳の心理的抵抗線が突破され、大半の人間が35歳を越えても結婚しない未来に至る可能性はあります。
2020年代前半に観察された生成AIの隆盛は未婚率にどのような影響を及ぼすでしょうか。AIを恋人にできる未来が訪れた時、40歳や45歳の心理的抵抗線はどれほどの影響力を持つでしょうか。
35歳までに人類の半数以上が結婚しない未来では、人類の大半は未婚のまま生涯を終えるのかもしれません。現生人類は結婚に代わる価値観を模索しているのでしょう。それは不幸なことかもしれませんし、幸福なことかもしれません。
結婚はどこへ消えたのでしょうか。
結婚について私たちがしっかりと考えるべき時が来たということでしょうか。いえ、それはおそらく責任ある表現ではありません。私たちはいつだって必死に結婚について考えてきたのですから。
私たちの目の前から結婚は消えてしまいました。私たちは考えるまでもなく、結婚を探しにいくか、探しにいかないかの岐路に立たされています。
探しにいくことが善で、探しにいかないことが悪だと言いたい訳ではありません。チーズがどこかへ消えたとしても、私たちはフルーツを食べて生きることができますから。
私たちのサバンナはどこに広がっているのでしょうか。
私は今も考えています。
次回予告『恋愛は永遠に私たちのものだ』