見出し画像

今更ながらチャリで愛知-長崎を往復した話しを振り返る

はじめに

これは2015年3~5月にかけて行ったチャリンコ旅を今更ながらに振り返る記事です。

人生においてどれほど大きなイベントであっても、過去の記憶って案外直ぐに忘れてしまうもので、今現時点でも大切な思い出である「チャリ旅」が少しずつ忘却されていっている。この忘却の流れを今ここで食い止め、10年後、20年後にこれを見て思い返したとき、「うわぁ〜こんなことしてたわぁ!」と思い出せるようにここに残しておこうと思い立ったわけです。

この記事を読んでも何にも有益な情報はありません。ただちょっとだけ僕という人間がどんなやつなのかがわかって思ってもらえるかもしれません。

では早速いきましょう。

そもそも何で?

なんでそもそもチャリで旅をしようと思ったのか。
留学をしているときに仲の良かったイタリア人の友達アントニオの一言が僕を冒険に駆り立てました。

「日本人なのに沖縄に行ったことないだって?俺はイタリアの南の方の出身だけどローマとか北の方にも行ったことあるぜ!」

そう言われたとき、「あぁ、確かになぁ。沖縄行くかぁ。でも普通に行っても面白くないからチャリで行くかぁ。」これがチャリ旅の始まりです。この時は沖縄まで行くんだったら、日本一周しようと思ってました。

そのあとすぐに母親に連絡して、こういう理由だから大学もう1年休学するわと伝えました。電話した時に座っていたカフェの場所と席まで今でも覚えています。Earl's Court駅の近くのCosta(今はもうないっぽい)

準備編

お金が必要です。2014年8月末に留学から帰ってきて11月~2月くらいでバイトをしました。名古屋の栄というところのカラオケで働いていました。シフトは夜中。確か月20万以上は稼いでました。結構頑張って働いてました。

お金がそこそこ貯まったので、必要なものを買い集めました。
自転車はGiantのグレートジャーニー。防寒具などはmontbellで揃えました。野宿するかもしれないからテントも買ったんですが結局一度も野宿はしませんでした。

道中で配るぞ〜と名刺も作りました。結局旅のなかで名刺は1枚しか配りませんでした。

このときもまだ日本一周をする予定でした。

グレートジャーニー

本州編

2015年3月いよいよ出発です。愛知県の実家を出発しました。最初の数日は今でも結構はっきり記憶にあります。

1日目(三重 鈴鹿市)

どこまで行けるか全くわかりません。とにかく西の方を目指していきます。
1日目は確か60kmくらい走りました。三重県の鈴鹿市のネットカフェで一泊しました。60kmも漕いだはずなのに、iPhoneのマップアプリで確認するとこれっぽっちしか進んでないじゃん。と思ったのを覚えています。

2日目(京都 京田辺市)

京都方面を目指します。亀山市、伊賀市を抜け、京都の京田辺市で一泊しました。山の中をひたすら走りました。この辺の写真が全然ない。

3日目(京都 京都市)

先輩と会うために京都市内に行きました。あんまり距離はなかったイメージ。ちょっと時間があったので京都市内をぷらぷらしつつ夜ごはんを先輩にご馳走になりました。

4日目以降記憶がだいぶ曖昧です。
ただ、神戸から岡山に向かうときに愛知で教員をされている方と出会い、その方にこの旅最初で最後の名刺を渡した記憶があります。

子午線のマンホール
たぶん明石海峡大橋
岡山に入った

岡山にはディオというスーパーがあって、180円?とかで弁当が買えてめちゃくちゃ歓喜したのを覚えています。

四国編

しまなみ街道と愛媛

しまなみ街道を渡って四国に入りました。目指すは友達がいる高知県。
しまなみ街道はとても自転車が走りやすくなっていて気持ちよかった。たくさん自転車で走ってる人たちがいて応援してくれた。

しまなみ街道

そして愛媛に入りました。愛媛といったら道後温泉。
建て直す直前だった気がする。

道後温泉
坊ちゃん列車

三坂峠から高知県へ

愛媛から高知へ向かいます。四国山地を突っ切るルートで目指します。
山がまぁきつい。ずーーーーっと坂。そろそろ終わりかと思ったら、現れる立て看板。そこには残り10kmの文字。ちょっと漕いでは歩きを繰り返し、ようやく峠を登りきりました。
ここからのくだりは気持ちよかったな〜。

激坂の峠

そして高知へやってきました。
高知では友達の家に泊めてもらいました、市場に連れて行ってもらったり、桂浜に連れて行ってもらったり、高知城に連れて行ってもらったり、すごくもてなしてもらいました。

かつお
龍馬さん

高知をあとにし、そのあとまた愛媛に戻りました。激坂も逆から登る時は傾斜がそこまでキツくなくあまりしんどくなかったです。

愛媛に戻ってからはフェリーで広島に向かうことにしました。
フェリーで自転車をおそらく倒されて、ハンドルが曲がってしまったのはものすごくショックでした。

広島からに戻ってきてからは山口に向かいました。ここら辺の写真も全然ない。

九州編

山口から福岡まで関門トンネルを抜けて渡ります。
たしかこのあたりで初めて、関門トンネルの関門は下関と門司を繋いでるからこの名前なのか!と気づいた気がします。

もう少し上手く撮れなかったのか。

九州に入ってから次は長崎に向かいます。
留学のときに出会った、ゲストハウスを運営されている方に会いにいきます。トトロさんと呼んでいました。

福岡と佐賀

福岡ではちょっと自転車を止めて目を離した隙に荷物を全部ひっくり返して漁られていたという経験をしました。雨だったので、衣類が全部濡れて、コインランドリーで洗ったのを覚えています。

佐賀。佐賀城跡を訪れて。本当に跡だけじゃん。と思った記憶が残っています。

長崎

長崎市に入るには山を結構登らないといけなかった記憶があります。
これも結構しんどかったなぁ。

長崎に到着すると、トトロさんに迎え入れてもらい、ゲストハウスに泊めてもらいました。何日か長崎市内を観光しました。親友が佐世保出身だったので佐世保にもいきました。長崎-佐世保間は電車を使ってしまいました。


亀山社中のとこにあったと思う


佐世保バーガー

沖縄

本当は鹿児島まで自転車で行って、フェリーで沖縄まで渡るつもりでした。
でも、ここまできて僕は鹿児島までチャリで行くのをサボりました。自転車をトトロさんのところで預かってもらい、飛行機で沖縄に行きました…

沖縄では那覇、名護、本部、辺野古付近といくつかの場所のゲストハウスを転々としました。移動はレンタサイクルを借りたり、バスに乗ったり、ヒッチハイクをしたり。

ゲストハウスには一人旅とかをしている人が結構いたので、そういう人たちと飲みに行ったりしてました。

辺野古付近の宿に泊まったときは、ヘルパーとして働いていた同い年くらいの子と仲良くなり、バーベキューをしたりもしました。
ちょうどその子はもう直ぐ広島に帰るところだったので、僕が愛知方面に帰る時に泊めてもらえることになりました。

男1人で美ら海水族館
本部で泊まった宿
辺野古らへんで泊まった宿

復路

この時にはもう日本を一周する気力はありませんでした。
もし実家が北海道や沖縄だったら一周してたと思います。でも実家は愛知なので一周しようとすると、折り返してきた時にどうしても近くを通ることになります。当時の僕には通り過ぎて行くことはできませんでした。愛知に帰ります。

基本的に同じ道を帰ります。広島では沖縄で仲良くなった子の家に泊めてもらいました。あとは写真で何枚か。

吉野ヶ里遺跡
尾道で泊まったゲストハウス
後楽園で食べたきびだんご

最後の日

前日に明石?か神戸の西の方?まできました。この日にもう実家まで帰ってしまいたい。そう思って朝4時に起き、出発します。
とにかく漕ぎます。230km漕ぎました。そして、最後はなんと名古屋でパンクしてしまい。車で迎えにきてもらい僕の旅は終了です。

いろんな人との出会い

この旅では色々な人に出会い、助けてもらいました。
高知で泊めてくれた友人、長崎で泊めてくれたトトロさん、沖縄で仲良くなって広島で泊めてくれた友人。

宿以外にも、道中でたくさんの人に会いました。
- 福岡市内で声をかけてくれてマクドナルドのポテトを1本くれた大学生
- 前に走って行ったと思ったら車を止まってくれて飲み物の差し入れをくれた方
- たまたま入った定食屋でごはんを全部無料にしてくれた大将
- 兵庫から鹿児島までチャリで2日?くらいで行ってしまう猛者
- 北海道からスケボーとヒッチハイクで日本一周してるファンキーなやつ
- 尾道の宿で出会った、愛媛の方と香港の方
- 北海道で自衛隊員をしているお兄さん

振り返るとこの旅で出会い助けてもらったこの体験はすごく人生を豊かにしてくれたんじゃないかなと思います。

最後に

思ったよりもたくさん書けました。なんかまだ書けそうだけど、一旦ここまでにしておこう。
今振り返ってみても、毎日100kmとかを漕ぎ続けるのはしんどかったなぁと思いつつ、めっちゃ色々な人と出会って良い経験してるなと思いました。

旅の合計走行距離は3,000km弱でした。

おわり。

いいなと思ったら応援しよう!