![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/70025329/rectangle_large_type_2_31bf808f0644e8830ec4edbba5b17cf2.jpg?width=1200)
子供に選ばせる教育への悩み
私は娘に今までの自分の人生経験から、アドラー心理学的なスタンスで教育しています。しかし、悩みがあるのが「お風呂入ろうよ」や「歯磨きしようよ」を拒否された時の反応です。
生活習慣の構築と子供の意志のバランス
お風呂入るとか、歯を磨くのは本質的に嫌ってものでもないと考えています(本人も喜んでお風呂入るので。入るまでが面倒なのです)。
それを言い訳に、誘導したり、ご褒美で動かしたり、明日プリキュア見ないよとか嫌がらせしたり、良くないなと感じつつもしてしまいます。
見聞きしたことに「かもしれない」を加える遊び
意識的に子供に教育的観点で行っているのは、「かもしれない」遊びです。
例えば机にのって飛び降りて遊んでいたら、「危なくない?」と問いかけつつ、机のバランスや構造的耐久力の話をしたり、「飛び降りた先に硬いものあったら、イタターってなったかもしれない」とか、「僕が怖いからやる前に相談してよ」とか、色んな観点でシャワーのように話をします。
あまり聞いてないのかな?って思うことも多かったですが、最近は僕も驚く位に豊に発想しますし、「言葉で気持ちを伝えるのが大切」という哲学を受けてかたくさんお話してくれて成長を嬉しく感じてます。
今の学校教育の歪
勉強すれば就職とかお金が稼げて報われるのだって考えは昔からありましたね。でも、本当は歴史を学び、自分たちの祖先の考えを知り、近代のお金がどう成立してきたかを学び、その先で目指す世界の形や自分が周りの人の幸せのため何をなすのかを見定めて、学ぶという流れが自然なのかと感じます。
自分が川の流れの中にあるという理解をして、内発的に学ぶ動機をみつけていく。
無理強いは良くないには私も同意です。その子にはその子の魂が定めたやるべきことがきっとあるのでしょうから。親の我々はサポートや多様な考え方をできるだけ示していくということなのかな。
“・奇妙な努力を強いる社会 ・努力というのは、辛いことを我慢するのことなのだと、みんな勘違いをさせられている ・嫌なものを我慢するための努力は、人間性を歪めるか、エネルギィを喪失させ、良い結果をもたらさない。しかし、世間一般では、親も学校も、子どもに対して、そのようなことも、目標立てさせる ・嫌なことを、無理強いするのは、歪んだ人間になりなさいと言っているようなもの”
自分が良いと考えることを、いかに1意見として、私はこう思うに留めつつ子供に伝えるかは悩ましい部分も生まれますが、皆様はいかがでしょうか?