味噌汁との旅路


炊飯器に米と雑穀米を入れてセットする。
ひとまず一品確保した、と自分を褒める。
冷蔵庫にある食材をそっと覗き見して、色々考えるふりをする。いつもの味噌汁に必要なものがあったかどうかを考えているだけとは悟られないように。理想のレシピから少し材料が少ないくらいがデフォルト。

さつまいもさえあればなんとかなる。
なんとか甘い、丸い味噌汁になる。
私はその辛うじて味噌汁、なそれが好きだ。

子供の頃、あまり味噌汁が好きではなかった。
猫舌なのと、あまり食卓にあがらず食べ慣れてなかったのと、あとはなにより

私はよく味噌汁を溢す子供だった。

割と親はマナーなどに厳しかったので、夕飯時にテレビがついていることはなかった。おかずを奪ってくる兄弟姉妹もいない。とにかく目の前の食事に集中すれば良かったし、母は料理が得意でいつも美味しいものが並んでいたように思う。
食事時以外に集中力を欠かすこともあまりなかったし、逆に周りが見えなくなるほど何かに集中できる力もなかった。

何がどう働いてか分からないが、とにかく私はよく味噌汁を溢した。そういえば家でばかりだ。当時の実家はカーペット張りで、味噌汁がカーペットに染み込んでいくのを、気まずい空気の中じっと見つめている自分を思い出す。

あなたの作った味噌汁を一生食べたい

そんな台詞をどこかで目にした時はゾッとした。
あんなに溢れやすいものを毎日、一生作るなんて、なんて結婚とは過酷なものなのか。

その他諸々の理由含めて、結婚にあまり夢を持っていなかった少女も、気付けば歳を重ね、ついに結婚し子供を授った。

子育ては想像の何倍も過酷で、幸せで、やはり過酷だった。
授乳、離乳食、幼児食…大人が食べるものに近付けば近付くほど、私は苦しんでいた。

夫婦2人の時は、共働きだったこともあり、なんだかんだで自分がその日食べたいものを作った。
子供の離乳食には苦労したが、特別なものとして無我夢中で走り抜けた。ドロドロの何かだった子供のご飯は少しずつ固形になり、手で食べられる形状になり、気付けばフォークやスプーンやお箸を使い始めていた。

それが、

大人と同じ材料のものが食べられるようになりました。ただ、味は薄味で、そして何より栄養のあるものを食べさせてください。

という私にとっては非常にハードモードとも言えるところに突入したのだ。

そしてみんな言うのだ。

具沢山のお味噌汁がとてもいいよ

と。

だいたい、味噌汁、味噌汁、てなんか簡単に言うし、脇役感がすごいが実はそこそこ手がかかる。カレーくらい手がかかる。カレーでいいよ、とか言われたくない。くらいに、味噌汁があればいいよ、なんて言われたくない。言わせない。

だが結局、人として中途半端な、オリジナリティのない私は、先人達に導かれて、味噌汁作成への道へと踏み出したのだ。

その道程は割愛するとして、ひとまず私は甘い味噌汁を作る地点に立っている。
ここが遠いのか、近いのかもわからない。何からなのか、すら定まらない。

それでも甘い、丸い味噌汁は悪くない。
道半ば、にふさわしく相変わらずオチも何もない。

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