めちゃくちゃ
忙しい。つまり幸せなんですけども。自分としては予期せぬ忙しさ、という部分があるので、冷静に判断していこうと思います。追い詰めてはいけない。良い意味で「手を抜く」というコトは大事です。そんなの良くない!って思った人は、生きていくのしんどいですよ。全ての手を抜くとは言っていないので。
とは言っても余裕はないです。個人的にこれから色んなコトを教えていこうと思っている後輩シンガーちゃんがいるのですが、その子に色々アドバイスしたばかりなのに、自分が不安になってしまいました。まあ、人ってあんまり褒められすぎると勘違いしてしまうものだね。でも、見失うつもりはない!元々、僕は僕が好きでたまらないし、僕が作るモノは誰がなんと言おうと最高だと信じている、というかそれが事実なので信じる必要もない。けども、こうも褒められ続ける期間が続くと、ダメ出しされた時に落ち込んでしまったと、「勘違い」する。あくまで、一つの組織、一つの価値観において、認められなかっただけなのに、落ち込んだ気になってしまったのである。実際そんなコトはない。おそらく、僕も作品に対してこだわりとかないので、その意見やダメ出しに対して、しっかりと答えてみよう!それもまた面白い!と思う性格だから、なおさらだった。「それに答える」=「ダメ出しされた通り、良くない作品だった」と自分の脳みそが勘違いしてしまっていたのである。だが、違う。俺の作品はどれもいいし、認めない人はどんな作品だって50億人くらいはいるんだ。だって僕は数十億人が好きだと豪語する曲が嫌いであったりする。結局は、どんな尊敬する人も、えらい人も、友達も恋人も、先輩も偉人も、好みである。芸術は好み。その上で大衆に向けるために、考える人たちがいて、僕もまた考える。その上で、僕は色んな作品を柔軟に作れるように、より芸術的な人間に変わっていくのだろう。普通の人生は歩めない。この感覚、感情、焦りや不安は、普通の人間じゃ体験できなかったコト。また同じように、僕も普通の生活をしている人達の気持ちや悩みを分からなかったりする。大事なのは、双方が素敵であって間違いじゃない、というコト。これは個人的な主観ではあるが、「普通の生活」をしている人の方が、価値観は偏っている傾向にあると思う。「変な生活」を送っている人も、それはそれで偏ってはいるが、多種多様を受け止めるコトができる人が多い。気がする。「普通」を頑張って行っている人は、「普通」であるコトに病的に依存し、プライドを持つ。それ以外を批判したくなってしまう。なぜなら、そういう人には「それでしか生きていけない。」とか、「本当はここから逸脱したい。」なんていうフラストレーションがあるから。
大丈夫。どれだけテキトーな生活でも、億万長者の生活でも、普通の生活と同等、それ以上に未知の苦労はある。そこに関しては、僕は知り始めている。
そして普通の生活は、僕にはとても難しい。
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